人生ムリゲー論
ツィッターで以前、「生きるというのは、ムリゲーである」という感じのことを言っていた人がいて、これ、私の場合、当たってます。
もちろん、そんなこと全然ない、という方も多いと思います。スイスイ泳いげているなら、そのまま、どんどん進んでいかれるのが良いと思います。
でも、私は、生きるのは、ちぃっと、大変だなぁという感じ、かなり若いころからしていましたし、52歳の今も、大して変わりません。
ところで、「ムリゲー」という言葉ですが、私は、15年以上外国に住んでいるせいか、自分の理解で合ってるのか自信がなく、念の為の調べて見たところ、「クリアするのが無理なゲーム」ということで、思った通りでした。
で、この言葉が好きな理由としては、生きるというのが、初期設定でムリゲーであるとすると、色々、期待値が下がって、楽になるところです。
辛い時や、上手く行かないことが、しょっちゅう起こっていても、「最初から、ムリゲーだから」と思えば、敗北感が減ります。失敗しても、「こんなことも出来ない、私」などと、自分を責める必要もなくなります。あと、人から非難を受けても、ムリゲーなので、もちろん、周囲が非協力的だったり、攻撃されることも、あって当然です。
あと、「ムリゲー」かどうかの初期設定、あるいは度合いは、人によると思いえば、人と比べる必要もなくなります。ツィッターで言ったり、私もこうやってブログに書いているくらいですから、人生「ムリゲー」論に賛成する人も、少なくとも、二人はいると言うことです。
それどころか、経験と憶測から、私は、世界中、そんな風に思って生きてる人は、たくさんいると思います。日本に比べて、陽気に見えるアメリカにも、いっぱいいます。
つまり、その人たちは、みんな、ムリゲー参加者です。
ところで、世の中には、『引き寄せ』の法則というのがあり、色々、本やらオンラインで、どうやったら、スイスイの人生になるかということが説かれています。
欲しいものや、成功を、引き寄せることが、すごく簡単に出来ちゃって、それを出版したり、セミナーできたりする方がいるのは、素晴らしいことですが、良く考えてみれば、『引き寄せ』の法則が、本になって売られているということ自体、ムリゲー論(あるいは一般的な、人生ムリゲー感)を、ある意味、肯定していないでしょうか。『引き寄せの法則』や、自己啓発本などは、その攻略法として、出版されているようにも見えます。
私は、ムリゲー攻略法として、役に立つものがあれば、どんどん使って行くのが、良いと思います。実際、私も、ムリゲー対策は、たくさんしてきました。今でも、しています。試したものの例を挙げると、本、ブログ、スピ系Youtube、友人、メンター、師匠的な方からの助言、医者、専門家などなど。
「ムリゲー」は、「クリアするのが無理」という意味ですから、最初から難しく、工夫してもクリア出来ないように出来てます。なので、参加していることに意味があるとなり、私は、気分が楽になります。また、「クリアが不可能」というより、自分で、ゲームオーバーボタンを押さない(自死しない、ヤケにならない)ことが、クリアであるので、基本的に「やらなけれければいけないこと」は、「生きること」だけになります。その上で、やれることをすれば、結果など、どうでも良いのです。所詮、ムリゲーですから。
時には、ムリゲーに、頑張って取り組んでいる私って、すごいなどと、自分を褒めたりするのも、良いでしょう。
人生を、シュミュレーションゲーム、あるいは遊びと捉えるという見方については、やはりツィッターで教えてもらった『魂のインターネット』というサイトに書かれていて、私は参考にしています。ただ、こちらのサイトでは、ムリゲーであるとは、言っていませんが。
また、親から虐待を受けて育った知人から直接聞いた話ですが、彼女が、催眠療法をやった時に、生まれる前に宇宙船のようなものに乗っていて、「あの人の子供になりたい」と、親を選んだ時のことが浮かんだそうです。彼女は、そういう親を、一つの挑戦として選んで、生まれた来たということで理解したようです。
最初から、難しい環境に生まれる子供は、たくさんいます。そうなると、後はずっと辛いというのも、よくあることです。そうなる人生を、選んで生まれて来るのかは、私にはわかりません。でも、人により、難易度の高い初期設定は実際ありますよね。
(ただ、これは、日本のような先進国に生まれたからといって、アフリカの水道さえないところで生まれた人より、良い初期設定という単純な話では、ないと思います)
また、「ムリゲー」だから、一生、辛いままということではないし、良い日もあるし、難しい日もあって、全体的に、攻略が無理、ということかなと思います。
ところで、このムリゲー論ですが、私は、今、自分の役に立ってるから書いているだけであって、他の方には、ちっとも役立たないかもしれません。
この見方では、生きるということを、「無理もの」としてしまうわけですから、そういう考えでは、今苦しければ、ずっと苦しいに繋がり、希望がなくなったり、無力感を持ってしまったりすると、感じる方もいるかもしれません。それなら、私に賛成する必要ありません。
あくまで私の場合、辛い時には、「ムリゲーだから、仕方ないね」と思ったり、孤独な時には、このムリゲーには、見えてないけど、他の人たちが一緒に参加していると思ったりして、少し、感謝の気持ちもわいたりすることが、あったりするということです。
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