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[短編物語] 緑の豚

私の住む小さな島は、人間住人の3倍の豚がいるので、近隣から、ピッグアイランドと呼ばれている。人口は、三百人だから、だいたい千匹位の豚がいることになる。豚は、生まれたり、食用にされたり、輸出されたり、たまには、病気で死んだりするのが常なので、正確な数は、いつも上下している。今、正確に何匹いるのか、一般の住民が把握しているわけではないけれど、市役所で、豚の数と所在を、しっかり管理している。

豚たちは、島に5つある、大きな農場で、飼育されている。うちの島は、自然農推奨で、豚舎でずっと買うのは、法律上できない。豚の睡眠中、天候が悪い時には、屋根のある建物の中に入れても良いことになっている。けれど、基本、外で、できるだけ自由に運動させること、なるべく自然由来の餌で飼育するのが義務で、違反すれば、罰金もある。豚を育てることや、豚食品は、島の主要な産業だから、豚の健康は、島にとって、とても大切なことなのだ。

島には、豚牧場以外に、映画館と卓球場が一つずつと、大きな公園、小学校と中学校を一つにしたものがある。高校は、フェリーで30分の隣島に通う。娯楽がほとんどない、退屈な場所なので、私たちの暇つぶしは、放牧場に行って、豚たちを観察すること。特に、子供がいる家庭では、牧場は、週末の娯楽として、重宝されている。豚たちが、草を食べたり、ブーブーと、泣く姿をみるのは、けっこう楽しいものだ。帰りに、ソーセージを買って帰るのが、家族の日曜日の楽しみだったりする。

そんなわけで、今日も、私は、両親、弟と、家から一番近い、豚牧場に来ている。ここには、二百匹ほどの豚がいる。私の弟は、やっとこの前、3歳になったところで、緑の豚がお気に入りで、「緑の豚さんがみたい」と、両親に、よくせがむ。

弟が『緑の豚』と呼んでいるのは、生まれた時から毛並み悪く、緑かかっている雌豚で、うちの近くの農場にいる。見た目が悪いし、誰も食べない。また、子供が緑で生まれるかもしれないので、子豚を産ませる作業も、農場ではしていない。病気なのだろうと考えられていたけれど、意外なことに、長生きで、肉になることもないので、一番の年寄りとなって、そこにいる。

毛の色が理由だろう、若豚だった頃には、他の豚たちに、鼻で小突かれたりしていたけれど、今は、たいてい、ひとり、農場の端の、小屋の陰で、佇み、ブーブーと何ごとか、鳴いている。若かり頃には、緑といえど、どちらかと言えば、若葉色であったけれど、年とともに、徐々に色濃くなり、毛質も固くなっているようだ。まだらな様子は鱗のようでもある。深緑のカビに覆われているようにも見え、それは、とても醜い。

けれど、私の弟は、その豚が好きで、いつも近くにいって、「緑の豚さん。」などと、話しかけたりする。何の反応もないのだけれど。

観察していると、ピンクの毛色の豚たちは、どうもこの緑豚を軽蔑しているらしい。それは、当然のことで、人間だって、緑の肌の人がいたら、爪弾きだろう。豚たちは、優越感を、あらわに、時に、緑の豚を遠目に囲み、何事か言っているように見えることがある。「気持ち悪い毛並みだこと。」とか、そういう感じだろう。もちろん、飼育している人間からしても、緑の豚は、使い道のないお荷物家畜だ。

そうやって、商品価値のない緑豚が、より価値の高い豚から、軽蔑され、長生きして、ひとりで佇んでいるのをみて、私たちの日曜日は、すぎていく。帰りには、豚商品を買って帰る。あぁ、ピッグアイランド。

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