他人という、世界、宇宙
『一人、一宇宙』、ツィッターで、誰かが言ってたのだけれど、好きな言葉だ。
今のところ、そのように考えて生きて、問題ないと思う。すぐ忘れるけど。
じゃぁ、私にとって『一人、一宇宙』という言葉とは:
それぞれの人は、『自分』という宇宙である。つまり、それはそれは、大きく、深く、独自の歴史や特徴がある。それぞれに、物理的、精神的な原則も違っている。たとえば、地球では、引力は地面の向きに働いてるけど、それは、他の所に行けば、そうでもないかもしれない、という風に。
私自身も、また宇宙であって、自分の宇宙についてさえ、広くて、とても把握できない。まして、他の宇宙など、どんなものなのか、把握できない。
つまるところ、私は、自分の宇宙であるから、他の宇宙に、それが、親であっても、夫婦であっても、子供であっても、行くことはできない。その片鱗を見るのが、関の山である。
他の宇宙に干渉するなど、土台、無理な話である。
もちろん、自我の完成していない小さい子供と、親の関係などは、別なんだろう。それでも、子供の宇宙がどうなっているのか、大人は、子供の時のことは、あんまり覚えてないのが普通だから、なんとも言えない気はする。
確かに、私は、他の人たち、家族であれ、知人であれ、道行く人であれ、知らない人たち、テレビは持ってないから見ないけど、ネットで見かける、有名無名の人たちであれ、政治家であれ、他の人の宇宙について、不思議に思ったり、好き嫌いを、感じることはある。それでも、基本、人の宇宙の事象で、私が変えれることなど、一つもない。
この頃、さらに、それぞれの宇宙の独立具合が進んで、なんだか、すごく、みんな、バラバラで、話も、全く合わず、それぞれ、別の方向に向かっているようだ。
少し、さみしい気もするけど、私は、だいたい、自分の宇宙の探索だけを、やっていこうと思う。そして、私の宇宙を、尊重できる人と、付き合っていこう。
もちろん、家族だったり、親しかったり、そうじゃなくても、好奇心が湧けば、「あなたの宇宙は、どうなってるの?」って、聞いてみて、教えてもらえるなら、他の宇宙の情報を取り入れて、自分のに役立てるって言うのは、ありな話。
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