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《創作大賞2024・恋愛小説部門》「Hydrangea」第5章 仲直りのおまじない 第1話 恋わずらいなんて

第5章 仲直りのおまじない

第1話 恋わずらいなんて

 わたしが悪い。全部わたしが悪い。
 あの日から、何度も何度もそうつぶやいて、夜が来るたびに涙を流した。学校にいるときでも、あのときのことを思い返しては深い溜め息をついている。
 
 似鳥さんとの一件から、すでに一週間以上がたった。
 雨月には、学校では話しかけるなと言われたけれど、もちろん教室に行けば嫌でも顔を合わせることになる。ホームルームや授業ではどうしても声をかけなければいけないときがあるのだけど……。
 
「あ、あの、うづ……夏野くん」
「…………」
「ええと、夏野くん? なつ……」
 
 雨月に話しかけようとすると、すっと視線をそらされる。授業の終わりに声をかけようとすれば、わたしのことなんて知らんぷりでいつもどこかへ行ってしまうのだ。謝る機会すら与えてもらえない。
 雨月はきっと、まだ怒っている。
 悲しいけれど当たり前だ。……あんなことを言ってしまったんだから。
 
「あれぇ? なんか晴花ちゃんが夏野に無視されてる」
「ホントだ。夏野のくせに生意気ー」
「晴花ちゃん、アイツとなにかあったの?」
 
 わたしと雨月の様子を見て、生徒たちが声をかけてくる。あからさまな雨月の態度に、みんなはおかしく思っているみたいだった。そりゃあそうだ。以前はただ素っ気なかっただけなのに、今の雨月からは「いっさい話しかけるな」というオーラが全開に出ている。まわりからしてみれば、なにかがあったとしか思わないだろう。
 心配してくれるのはうれしいのだけど……あのことを話すわけにはいかない。
 
「大丈夫だよ、気にしないで」
「ええー、気になるよ。なにかあったんでしょ?」
「う、ううん、なにもないよ。……なにも……」
 
 目を伏せて細く息を吐き出す。
 どれだけ平気なふりをしていても、内心はぼろぼろに傷ついていた。雨月に無視をされるだけで、こんなにも悲しくなる。謝りたくても謝れない今の状況は、胸が締めつけられるほどとてもつらかった。
 学校には来ているわけだし、何度逃げられたって話しかけるチャンスはいくらでもある。ふたりきりになりたければ、お昼休みに屋上へ行けばきっと雨月に会えるだろう。
 ……だけど、あんなことを言った手前、自分から雨月のいる屋上に行くなんてことはできなかった。
 昼休みのたびに、勇気を出してみようとは思う。けれど、屋上へ続く階段を見上げて二の足を踏んでいるうちに、いつも休み時間が終わってしまう。
 結局、昼休みに仕事なんていっさい手につかなかった。あんなのはどうせ最初からうそだった。仕方なく特別棟の空き教室でひとりお昼を食べながら、中庭を挟んで向こう側にある屋上を見つめる。
 そうすると、雨月と似鳥さんが一緒にいるのが見えた。
 
 宣戦布告をされた日から、似鳥さんはお昼を雨月と過ごすようになっていた。
 晴れている日は屋上で、天気の悪い日はきっとどこかの空き教室で、ふたりでお昼を食べている。それを考えては、落ち込んで……落ち込む自分に嫌気が差し、さらに落ち込んで。
 負のループに陥って、深い溜め息をつきながらお昼明けの授業に向かう。それが、ここ最近のわたしの日課になっていた。
 
 一日の授業が終わり、職員室で残りの仕事をしていると、
 
「どうしたんですか、水嶋先生」
 
 と、ふいに隣から声をかけられた。
 顔を上げると、体育教師の勝馬先生が心配そうな面持ちでわたしを見つめている。
 
「あの、どうしたって、なにがです……?」
「さっきからずっと溜め息ばかりついていますよ。なにかありましたか?」
 
 目をまたたく。
 言われて初めて気づく。どうやらずっと無意識に溜め息をついていたらしい。
 仕事をしているときに嫌な思いをさせてしまった。申し訳なく思い、頭を下げる。
 
「ご、ごめんなさい。心配していただいてありがとうございます。でも大丈夫です、なんでもありませんから」
「なんでもないって……そうは言っても、気になりますよ。笑顔が素敵な水嶋先生なのに、ここ最近はなんだかずっと表情が暗い気がするのですが……はっ、まさか!」
 
 大きな体を揺らす勝馬先生。
 どきりとした。もしかして雨月のことで悩んでいるのがばれてしまった?
 緊張に体を強張らせる。すると勝馬先生は神妙な面持ちで、
 
「水嶋先生、恋わずらいですか!」
「……へ?」
 
 思わぬ言葉に目をみはる。
 恋わずらいって……あの、恋わずらい?
 
「いえ、まさか……」
「いい人が……できてしまったんですか……!」
「できてませんよ。生徒との向き合い方で悩んでいるだけで、そういったことはなんにも」
「ですよね! ああ、よかった……。好きな人でもできたのかと思ってひやひやしましたよ!」
 
 がっはっは、と大仰に笑う勝馬先生に、わたしは思わず苦笑いする。
 ……そう。恋わずらいなんて、まさかだ。

 * * *

 インターホンを鳴らすと、マイクからいつもの明るい声が聞こえてきた。少しためらいながら自分の名前を告げると、すぐに玄関の扉が開く。中からエプロン姿のおばさんが出てきた。
 
「あら、ハルちゃん。どうしたの?」
「あ、おばさん、こんばんは……」
 
 学校帰りに向かったのは、雨月の家だった。
 夜に突然押しかけてしまって申し訳ないと思いつつ、胸の中はずっとどきどきと脈打っていた。ただお隣さんの家に来ただけなのに、今日はいつもと違ってひどく緊張する。
 ひとつ息を吐き、手に持っている箱を胸の高さに掲げた。
 
「あ、あの……ドーナツいっぱい買ってきたから、おすそわけで」
「えっ、ドーナツ?」
 
 甘いもの好きなおばさんが目をらんらんと輝かせる。
 ふにゃりと笑みを浮かべておばさんは頬に手を当てた。
 
「あらぁ、悪いわね。ちょうど甘いものが食べたかったのよ。いつもありがとうね」
「……いえ、べつに……」
 
 喜ぶおばさんと目を合わせられなかった。
 だって、言えない。おすそわけではなく、ここに来るための口実にわざわざ買ってきたなんて。
 ちら、とリビングのほうに目をやる。
 
「……あの……」
「え? ……ああ、雨月? 雨月ならリビングにいると思うけど。雨月ーっ!」
「あっ、い、いや、その、呼んでほしいわけじゃ……!」
 
 そんないきなり!
 心の準備が整う前に、リビングの扉が開く。文庫本を片手に、前髪をピンで留めた雨月が出てきた。今日はすでに制服から部屋着に着替えている。
 
「……なに」
「う、づき……」
 
 わたしの姿を見ても、雨月は表情を変えない。冷ややかな瞳でこちらを見据える。
 自分からここに会いに来たくせに、実際に本人を目の前にするとなにも言えなくなる。どうしよう、なんて言おう。
 そんなふうに考えていると、夕食作りの最中だったおばさんがリビングの中へと戻ってしまった。玄関にわたしと雨月のふたりだけになる。
 
 ああ、気まずい。張りつめた空気に息ができなくなる。
 だけど、このままではいけない。
 わたしは雨月と目を合わせないまま、手に持っている箱を差し出した。
 
「ド、ドーナツ、買ってきたんだ」
「…………」
「雨月、ここのドーナツ、むかし好きでよく食べてたから……今は、あんまり食べないかな。あ、も、もちろん雨月のために甘くないドーナツもちゃんと買ってきたの。甘いの苦手だもんね。だから、その、ね……」
「…………」
 
 返事がない。
 おそるおそる顔を上げると、雨月のひどく冷酷な瞳と視線がぶつかる。
 ひっ、と短く声を上げた。まるで氷細工のような冷たい表情に、思わず泣き出しそうになる。
 怒ってる。怒ってる。どうしよう。……こわい。
 
「……あ、ご、ごめん、もう帰――」
「上がれば」
 
 へ? と間抜けな声が漏れる。
 帰ったほうがいいのかもしれないと思ったときに聞こえてきた雨月の言葉に、目を丸くした。
 雨月を見やると、あごでくいと二階を指す。
 
「上がれば。おれの部屋に行こう」
「え……い、いいの?」
「ドーナツ持ったままずっとそこにいても、しょうがないだろ」
 
 それだけを言うと、雨月はわたしに背を向けてさっさと二階へと上がっていく。その姿を呆然と見つめてから、はっとして慌ててスリッパを履いた。
 おじゃまします、と小声でつぶやき、久しぶりに夏野家に上がった。


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