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袴田朱夏『階段を上がればひかり』 感想

先日、袴田朱夏(はかまだ・しゅか)さんがTwitterにて投稿していた連作について、拙いながら長い感想を書きました。

299首もの大作ですので力不足で汲み取れていない部分もありますが、丁寧に読ませていただいたつもりです。
お時間がある時にどうぞご覧ください。
(先に好きだった歌の各一首評、最後に全体を通しての感想を付記します)

・力こぶばかりまぶしい先生が地下鉄のあっちからこっちまで

修学旅行か、社会科見学の引率でしょうか。大勢の児童生徒を連れて必死に誘導する体育の先生が思い浮かびます。いつもと違う場所で子ども達は浮かれ気味。大きく太い先生の声も聞き流して思い思いにお喋りしています。次の場所まであまり時間はありません、全員の無事を確認してちゃんと目的の駅で降さなければ…。地下鉄内をあっちこっちして、先生は大変そうです。あっちからこっちまで、コミカルな表現が楽しいです。
力こぶ「ばかり」という強調の仕方が先生自身の先走っている、焦っている様子を物語っているようで面白く感じられました。

・うつ病はまじめな人がなるんだと母をかばった父もまじめだ

「まじめな人」という一見単純に思える形容の仕方が、逆に二人の実直さを表しているように思います。うつ、というのは一言で言い表すことのできない難解なものです。事情心情が何十にも重なって病として現れる、簡単に終わらない心の休息が必要な状態です。それらを汲んで、父はこのように母を庇ったのでしょう。母が自分を責め不甲斐なく思う気持ちも、父の(もしかすると原因となった相手、あるいは自分自身に対しての)怒りや母を慈しむ気持ちもひしひしと伝わってきます。
そして「父もまじめ」と評する主体もまた、暗に父本人のことも心配していることが分かります。やさしい歌です。

・悔しさをバネにせよって言う人のバネは強くてわたしをはじく

共感から好きな一首でした。
とても強くて明るい言葉ですよね、「悔しさをバネにして成長する」って。悔しいという感情から派生する情けなさや悲しさ、苦しさも全部ひっくるめてポジティブに変換して、次の行動の活力にする。世間の人々は難なくそうしているように思えますが、並大抵の葛藤ではないのにと私は思います。主体もこの考え方に圧倒されているのでしょうか、頑張る他者の姿を見て怯んでしまう気持ちを想像します。
もしくは、逆境を乗り越えた人こそ逞しいという考えを体現した歌なのかもしれません。どちらにせよ「強い」印象を与える歌だと思いました。ほんとうは、こういう人に憧れがあります。

・ほぼあっているけどわたしにもわからないから声でさがして

「声でさがして」、この結句にとても色気を感じてどきりとしました。歌全体を通して漢字表記が「声」だけなのも、声の印象を視覚的にもより強烈に表していて素敵です。何に対しての歌なのかは曖昧にしてありますが、個人的な解釈として“愛する”ことに対しての一首なのではないかと感じました。もう少し簡単に言えば「(あなたを)好きかどうか」という感じでしょうか。声色で相手の気持ちを汲み取ることができる人も時々いますが、主体はこの言葉を掛けている相手にだけ、無意識ながらも特別な声を使っていると考えているのでしょう。私にははっきりとは分かりませんが、感覚で何となく掴めるような気もします。ただ私とあなただけに分かる、通じ合える声。おそらくこの二人は確信めいた何かをお互い感じているのでしょう。とてもロマンチックな歌です。

・階段を上がればひかりあなただとわかるかたちの影が手を振る

絵画のように洗練された歌だと思います。私個人的に素敵だな、と思う歌は、読んだ瞬間にその歌で描かれている場面や心情が思い浮かぶ歌なのですが、まさにこの歌はそうでした。
上がりきった先からは後光のようにひかりが差していて、最上段に立つあなたは逆光で影に見えているのですね。
「あなただとわかるかたちの影」という表現が秀逸で、あなたに対する愛情深さや他人では気付けない機微に気を留めることができるさまを表しています。作中主体は「あなた」に対して尊敬の念や憧憬をももっているのではないでしょうか。また「手を振る」という動作に関しては二つの可能性が読み取れます。ひとつは親しみを示す挨拶として、もうひとつは別れの合図として。前者の方かな…と感じますが、この歌そのものが“夢”で、主体の深層心理が見せている場面であるならばさよならの意味合いを含んでいるような気もします。
大切にしたいと思えるような歌です。

・今ならば戻れる道をゆうぐれの偏西風と話し込んじゃう

先に言ってしまいますが、よく分からないけど好きな歌です。とても好きですこの感じ。話し込んじゃう。誰と?いや、偏西風と。しかもゆうぐれの。「今ならば戻れる道」というのは過去に選ばなかった方の進路でしょうか。それとも、物理的に今歩いてきた道のこと?ここで引き返せばまだ戻れる、ということは、主体は人生の岐路に立たされているのかもしれません。しかし、主体はそうせず偏西風をとっ捕まえて話し込んじゃう。どことなくまあいっか、というような能天気さや向こう見ずさを感じて少し元気になれます。評になっていなくてすみません。

・ぷはあには名前がないんだね ぷはあ、おまえに会うための生ビール

可愛らしくもあり、切実な歌でもあります。オノマトペを擬人化するという発想が面白くて素敵です。昼間は社会の一員として一生懸命働いて、退勤してから一口目のビール。最高ですね。この瞬間のために頑張ったと言っても過言ではない、自分を労うさまが伝わってきます。と言いつつ、私自身お酒が飲めないので恐らくこの歌の魅力を享受しきれないのが残念ですが、そんな人間にも響くような大人のための一首だと思います。

・この人に教わった箸の持ち方でこの人の骨を拾うのだろう

この歌ですが、袴田さんが以前「うたたね」に投稿された時に見つけて思わず感想を送ってしまった歌です。着眼点にハッとさせられました。「この人」という実に他人行儀な言い方で自分の産みの親、あるいは育ての親を呼ぶところに、主体と親の間にある複雑な感情が読み取れます。しかしこの連作を通して読むと、主体は両親にきつく悪感情を抱いている様子はなく、むしろ感謝の念をしっかりともっているように感じます。そこから、父母が亡くなり火葬が済んで骨を骨壷に入れる時を想像して、幼少の頃の記憶と実際起こるであろう出来事とのギャップに因縁めいたものを感じたのではないでしょうか。
当たり前のことではありますが、こうした動作に着目して雰囲気のある歌を詠めるところに、袴田さんの感性の鋭さを感じます。

・滑るように暮らしてしまう きみと会う時間のこぶを失くしてからは

人生は緩やかな線グラフ。きみと会う時にだけ、脈が打つように跳ね上がって起伏ができる。「時間のこぶ」という言葉に袴田さんの個性が現れているように感じます。主体ときみは今や遠い関係になってしまったのでしょう。会って話すことも、共に過ごすことも叶わない。それからの日々を「滑るように」暮らすとすることで、なめらかで穏やかながらも物哀しい気持ちを抱えた主体を想像できます。また、「暮らして“しまう”」にきみ以外に起伏を作ることができる人物と出会えない、きみが特別な存在だったのだ、という切実さを感じられます。とても好きです。

・病欠の子の牛乳を健康な子が一気飲みしてああ世界

たとえば「お金持ちほどお金を稼げる」という、社会の理にかなった不条理を想起させる一首です。作者は健康な子達を責めているわけでもなくて、病欠の子を贔屓している訳でもありません。その牛乳を特に栄養が必要であろう病欠の子へ届けてあげられれば良いのですが、(昔は分かりませんが現代では)実際そうもいかない。結局、いる者で片付けてもらうしかないのです。
結句の「ああ世界」という感嘆に、誰も間違ったことはしていないし悪くはないのだけれども、少しだけ心に引っかかるものが残ってしまうという感情が見てとれます。

・言わされたごめんなさいは子の中でどうなるのだろう寝息安らか
/ゆるしてと書かせた親と何が違うごめんなさいと言わせた俺の

この二首は一組としての作品だと認識しました。この二首の肝は、親としての主体がどれほどに子どものことを愛情深く育てているかというところだと思います。大切に思うゆえ、親としての務めを必ず全うしなければならないという覚悟や自分の中での「親」の理想像、しかしそれと相反するように感情的になってしまう場面ができてしまうのも人間の性です。子どもがいけないことをした時、どう叱るのが正解なのか。そもそも叱ることは正しいのか。本当は諭すように話して、子ども自身が気付きを得られるよう手助けするべきなのではないか。分かっているのにしてやれない自分が不甲斐ない。そんなまじめな主体が想像できます。自分の行いを省みて考えることのできる主体は優しい人なのでしょう。ごめんなさい、を「言わされた」「言わせた」と認識しているところからもそう感じます。今後私自身が子どもと接する時、たびたび思い出すことになる歌達になりそうです。

○全体を通して

人生、が凝縮された連作だと強く思いました。主体の幼少期〜少年時代、青春、恋と友情、晩年の父母との関係、新しい家庭、そして我が子の成長。まるで一人の人生を長回しのカメラで撮っているかのような作品でした。章ごとに場面は移り変わっていきますが、一貫して「生」がまっすぐ透けて見えてくる。袴田さんご自身のツイートから、この299首は何年もの時間をかけて作ってこられたものなのだと分かります。最初からこの連作をゴールとして詠まれていたのかもしれませんが、もしその時々の気持ちで詠まれたものをこうして纏められたのだとしたら、美しい一つの作品として整合性がとれていることに感服します。

長くなってしまいましたが、袴田さん、素敵な作品を読ませていただきありがとうございました!