noteと日記、継続して思うこと(50日時点)
今日は雨だ。気温もなんだか高い。
ダウンを着てこなくて、正解だったなあなんて思いながら、給湯室で窓の外を見ていた。
時刻は午後15時。
ちょうどピークの時間が落ち着いて、眠気がどっとやってくる時間帯だ。
今週のnoteはどの下書きを完成させようかなあ、なんてぼんやり考える。
今年は年始の目標でも掲げた通り、noteを週に1つはアップして、Xに毎日日記をアップしている。2月も後半にさしかかった今日も割とちゃんと続いている。エライ。
最近何を書けばいいのかわからないなあと、二の足を踏んでしまうことがある。書くことを続けられているというのはいいのだけれど、ふりかえってみると、その都度書きたいネタを書いては載せて、を繰り返していたからか、全体的にまとまりに欠ける仕上がりになっている。
私はnoteでいったい何を発信しているんだろう。
最初の頃は文章を書いて、割と自分も書けるじゃん、と思うことが楽しかった。
書いてみると、自分はこんなことを考えていたのかと驚かされることがいっぱいだ。
私には、「今日の私は何もしていない」「私なんて何も達成できない人間だ」なんて思う癖がある。
そんなわけはないのに、自分がしていたことをすっかり忘れてしまうのだ。
何もやっていない、と感じる日々は私にとってはなかなかの苦痛で、打開策としてやり始めたのが、このnoteと日記(Xで毎日更新中)だ。
ひとつnoteが完成するたびに、日記を書きあげるたびに、ちょっとした達成感を感じた。
自分の考えや気持ち、その日起こった些細な出来事にまで、想いを馳せられるようになってきた。
案外、楽しそうな毎日を送っているのだなあ。
そのことを知れて、大満足だ。
それが、最近になって「もっと見てほしい」という欲がむくむくと湧いてきている。
noteや日記をせっかく書いているのなら、誰かに目にとめてほしいと思うようになってきた。この気持ちの変化は決して悪いものではないし、そもそも当初からビュー数の目標も立てていたんだから、順当といえば順当な心境の変化だ。
むしろ、直実に目標達成に向けて、自分がどうしたらいいか、について考えて、次のフェーズにむけて歩みをすすめる試行錯誤しているというのは、理想的な成長の道筋をたどっているくらい。
そろそろこのnoteも方向性を決めて、ZINE制作も手を動かし始める頃合いなのかもしれないな。
Xで更新している日記は、たわいない日々を、私が見たまま感じたままを、文字に再投影している、というイメージだ。
雰囲気は『あたしンち』(ということにしている。)
茶色いメニューが食卓に並んだり、スーパーで野菜が安くなっていたり、たまには友だちとお茶したり。私だけじゃなく、季節やまわりのモノコトの変化を、私が感じた日々録だ。どんなことでも、コメディマインドで記録していくことを心掛けている。。
同じような日々の繰り返しだけれど、「毎日ちがう今日」がある。
いざ文字にしてみると、なんだかそういえば、今日が今日だけの特別だって気がしてくる。
少なくとも書いている私自身、そんな日もあったねえ、なんて思いだしてうれしくなるのだ。
ちなみに、「彼」がたくさん登場するものだから、私が彼のことを大好きなのがもろバレなのも、味のひとつだということにしている(笑)
今日は嫌なことがあったなあって日や、暇でどうしようなんて日は、たまに私の日記を覗いてみてほしい。
そういえば、今日って嫌なこともいいことも両方あったなあ、なんて思い起こせるきっかけに、私がなれたら、うれしい限り。
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