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世界の終わりを見るはずだったのに。


わたしが子供の頃、

「1999年7の月、空から恐怖の大王が降りてくる」

それは世界の終わり、
そして人類の滅亡を意味すると。

そんなことが世間を賑わせていた。
きっと、この言葉を知らない人はいなかったくらい
誰もがどこかで目に、耳にして知っていた。

この預言と言われたものは、
もとは詩だったらしい。

1999年7か月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモアの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために。

wikipedia 恐怖の大王 より


ちょっとこの文章だと何を意味するのか
私にはさっぱりわからないが笑
解読した人が世界の終わりを示していると
言うのだったらそうなのだろう!と、
思っていた。


そう、思春期のわたしはこれを信じたかった。


1999年ということはわたしはまだ10代後半だ、
ハタチにならずして、大人にならずに、この目で
世界の終わりを見ることができるのだと。

幼稚園や、小学校の低学年頃までは
ただただ無邪気に生きていたわたしも、
小学生の半ばで引っ越しをして馴染みのない
小学校へ通わなければならなくなった、
それでもまだ、何とか無邪気な範囲で
いられた…ような気がする。
すでにつまらなくなり始めていた気はするけれど。

その後中学生になって、
いわゆる思春期と言われる年齢を過ぎると
子供でいることも、かといって大人になることも、
なんだかすべてが嫌になっていたように思う。

まあ、それが思春期というやつなのか。
どうなのか。

当時住んでいた場所の公立の中高は
かなりガラが悪くヤンキーだらけだった(らしい)
そんなところには…という母の意向で
わたしは小学生でお受験とやつを経験し、
中学から私立の女子校へと通うことになるのだが
まあ、合わなかった。笑

毎日つまらなかったし、
本当に何もかもが嫌になってしまっていたし、
このまま生きていくなんて嫌だ、
かと言って大人にもなりたくないし
大人になるまで生きていたくない、
いっそ消えてしまいたい、
いや、全部消えてしまえばいいのに。
世界ごと、消えてしまえばいいのに。

そんなふうに思っていたかもしれない。

いかんせん恐ろしいほど昔のことだから
その時思春期のわたしがどう思っていたかはもう、
記憶自体がが曖昧だ。笑


とにかく、1999年に世界が終わって
人類が滅亡するというその予言は、
思春期のわたしにはまさに願ったり叶ったり
…となるはずだった。

だった

のに



世界は終わらなかったし、
人類も滅亡しなかった。

恐怖の大王は空から降りてこなかった。


わたしの心は叫んでいた。

「恐怖の大王どこやねん!!」


8の月になっても世界は何も変わらず
そのまま時間は流れていった。

7の月を前にしていた世間は、
おいおいいつ何が起こるんだ!
大災害か、隕石が落ちてくるのか、なんだなんだ!
とみんなが7の月に何が起こるか、
何かが起こることを、少し期待していたはずだ。

だから、何も起こらず8の月になったら、
「何にも起こらんやん!」と
みんなが言っていたように思う。

ホッとした顔で。

「恐怖の大王って、何のことやったんやろ?」と。

あれだけ世間を賑わせても、
何もなければ興味も消える。
流れてゆく時間と日常に飲み込まれて、
あっという間に忘れられていった。

けれど思春期のわたしは、
しばらくの間恨んでいた、
ノストラダムスを。

予言ははずれ、
わたしは迎えるはずのなかった
ハタチを迎えることになる。

あーあ、ノストラダムスのせいで、
ハタチになってしまった。
と思いながら着物は着たけど、
プリクラや写真を撮っただけ。

子供の頃から何度も引っ越しをして、
ここ!という、いわゆる地元と呼べるような場所や
深い思い入れのある場所、いや、場所だけでなく
大切な友人、一緒に成人式に出たいと思うような
そんな友人さえも、当時のわたしには
存在しなかった。

だから成人式には出なかった。

ちなみに、
今振り返ってみても、成人式に出なかったことを
後悔したことはたったの一度たりともない。笑


話が脱線した気がするので
ノストラダムスに戻す。

1999年は何事もなく終わり、
ミレニアムだなんだと言われ2000年になり、
それからさらに24年が過ぎた。
もうノストラダムスのことなんて
みんな覚えていないし、気にもしていない。
過去の黒歴史みたいなものだ。


わたしも大人になって、
大人どころかアラフォーといわれる年代になり、
30代を終えて40代に入った。
もう世界の終わりや人類の滅亡なんて
もちろん願ってなんかいない。
かと言って、世界は希望で満ち溢れてる!
なんてことも思ったことはないのだけれど。


でももし、
「今年の7の月、世界が終わる」
今度こそ、必ず終わる、と言われたら。

さて、今のわたしならどうするだろう。



あの時のわたしが持っていなかった存在、
数少ない大切な友人たちへ
感謝の気持ちを伝えると思う。

そのあとは猫を抱いて、
その時を静かに穏やかに待つ、
のだろうと…思う。

だって、
恐怖の大王からうちの猫さんを守れるのは
わたししかいないから。




それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。







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