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そんな自分の未熟さやできなさと向き合っている。


人が「100%分かりあう」ことなんて
絶対に無理だって思っているのに、

人って、自分のことを分かって欲しい
という気持ちはきっとゼロにはならなくて、

矛盾してるじゃないか、と思うんだけど
でもそういう矛盾を抱えるからこそ、
自分だけわかって欲しいなんてね、って
そんな思いが芽生えるのと同時に、
この人はどうなんだろうとか、
相手のことを分かりたいとか、
誰かを分かろうとする気持ちが
生まれくるのだろうなって
そんなふうに思う。


誰のどんな痛みも、
実際に同じ痛みを感じて理解するなんて不可能で
それは自分の痛みも同じことで。
自分の痛みや苦しみや悲しみを
完全に誰かに理解してもらうなんて
そんなことは不可能だ。
それでも自分がまだ若かった頃は
それこそ10代や20代の頃は、
この苦しみを誰も分かってくれないのだと
絶望していたように思うけれど、
今はそうではないのだと、分かる。

完全に同じ痛みを感じたり
理解することは不可能であったとしても、
それでも、自分自身も沢山の痛みを
経験してきたことによって、
人の痛みを想像することができる。
ああどんなに痛いだろう苦しいだろう
悲しいだろうと、想像することができる。
その痛みに寄り添うことができる。

思いやりも共感も、結局は想像力でしかない。
けれどその想像力がなければ、
人からはきっと何も生まれてこない。
想像力は頭ではなく心から生まれてくるんだろう。


矛盾だってそう、悪じゃない。

何の矛盾も抱えずに生きるなんて、
わたしは不可能だと思っている。
人の心はそんな完璧で偏ったものではないと
思っているから。


少なくともわたしは、
不完全で足りないものだらけで
できないことだらけで自信なんてなくて、
たくさんの矛盾を抱えながら生きていて、
でもそんな自分の未熟さやできなさを見つめて、
向き合って、今はまだ生きていたいと思う。



それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。



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