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走り過ぎてゆく電車を見送るように。


「もう過去のこと」

例えば何か、
辛かったことや悲しかったこと、
深く思い悩んだ末の決断や、
自分にはどうにも出来ず
眺めているしかなかったようなことでも、
引きずったり強く記憶に残るような出来事を
もう過去のことだと、そう思えるようになるには
それなりに長い時間がかかる。

その時の気持ちや自分の状況を
上手く言葉で説明できないなと思っていた。


でもある日、駅で電車を待っていて、
ふと、あの時の自分はこんな感覚だったのかな
と思う瞬間があった。

自分が各駅電車しか止まらない駅にいて、
それなのにどうしてだか
快速や急行、特急電車しか来なくて
目の前をすごい速さで通り過ぎてゆく。
早いのか遅いのかわからないような
スピードで通り過ぎてゆくその電車は
強い風だけを残し、自分の髪を乱して去ってゆく。
それをただ立ち尽くして、呆然と眺めている自分。

そんな感覚。


その走り去る電車たちは、
周りの人達や景色、毎日そのもので、
自分だけがそこへ取り残されている。
どこへも行けないような、
ポツンと置いて行かれたような。

各駅停車の電車はいつも平凡で遅くて、
でもそれが日常だったんだと気づく。

みんなどうやってその電車に乗ったの、
みんな乗ってるのにどうしてわたしは
同じようにその電車に乗れないの、
そんなふうに思っていたような気がする。

いや、今でもそんなふうに感じることは時々ある。

でも、駅でぼんやりと電車を見送り続けて
気がついたのだ。

乗らなくてもいいのかも、って。

歩けばいいかな、って。


別にみんなが乗ってるあの電車に
乗れなくたっていいや、
じゃあちょっとゆっくり歩いてみようか、と。

遅くてもいいじゃない、
電車とは違って、自分の足で歩くなら
自分の行きたい方へいつでも方向転換できる、
途中で好きに立ち止まることもできる、
自分のペースでゆっくり歩けばいい、
歩いてだってどこへでも行ける。


みんなの何倍も何十倍も、
もっともっと遅いかもしれないけど
それでもいいじゃない。
別に目的地がなくたっていいじゃない。
ふらりふらりと、歩いてみようか。
そんなふうに思えるように、
少しなった。

たぶん、
「みんなと一緒のことができない自分」
を少し許してあげられるようになったんだろう。


昔住んでいた最寄駅。
なんだか動けなくて、ぼんやりとベンチに座ったまま、
何本も電車を見送ったことがある。



それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。






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