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手芸研究家を名乗る、わたしの自己紹介

宇藤 彩乃(Ayano Uto)
1983年 東京は江戸川、下町育ち。

7歳で祖母から編み物を、9歳で母からパッチワークを習う。リカちゃん人形の服を作るのが趣味な小学生生活を送り、中学2年生でこども服のデザイナーを目指すが、公立高校でピンとくる家政科がなかったため、偶然出会った都立工芸高校へ進学。
インテリア科でデザインや設計などを学び、卒業後は店舗や住居の完成予想図(パース)を手描き・CGで作成する会社へ就職。インテリアの仕事は楽しかったものの、服づくりの世界への興味は変わらず、先輩からの後押しもあってアパレルへ転向することを決意。

アパレルでは販売からキャリアをスタートするが、会社員経験が評価され、未経験にも関わらずいきなり店長になる。オープンから10ヶ月連続で予算を達成出来たり、複数店舗の立ち上げにも関わる。おそらく21歳のビギナーズラック。

きちんと学ぶためにバンタンキャリアスクールへ進学。ファッションデザイン学科で基礎的なデザイン、パターン、縫製を現役のデザイナーやサンプル縫製士、フリーランスパタンナーの講師の先生方から1年みっちりご指導いただく。
この学校を選んだのは、転職向けのスクールだったことと、商業的向けのカリキュラムだったこと。これが正解だったように思う。
しかし、たった1年だけの専門生活だったので、なかなか就職が決まらない。とにかく書類選考でアッサリ落ちる。卒業後に取得したパターン検定3級のおかげでなんとかOEMメーカーでパタンナーとして採用してもらう。

このOEMメーカーではいわゆるマンションアパレルさんとのお取引がメイン。当時は読者モデルさんのブランド…今でいうインフルエンサーブランドが多く、自分も初心者なのに、ものづくりに詳しくない人たちとも接することが多かった。あれもこれもわからないけれど、どうにかして作らなくてはならないため、頼りにしたのは依頼先の工場さん。パターンのことも生産のことも素直にわからないから助けて欲しいと教えてもらい、カットソーから布帛重衣料まで、同僚たちにアドバイスをもらいながらなんとか企画営業からパターン作成、生産管理までを1年やりきった。忙しかったけれど、この時の経験がかなり役に立っている。
実は上司を頼りにしなかったのではなく、チーフパタンナーが入社1ヶ月後に退職なさったのである。わたしはその補充人員として採用コストの低い若手が数人採用されたうちの一人だった。

1年のキャリアを元手に子供服OEMにパタンナー兼デザイナーアシスタントとして転職するも、アパレルの仕事がもうしたくなくなるほどのダメージを受けて、ものの7ヶ月で退職。
気になる方は直接話を聞いて欲しい。面白おかしく話せる自信がある。

ちょうどこの頃、東京でも手づくり市が流行りはじめ、複数の作家さんと知り合ったことがきっかけで、自分でこども服を縫ってはイベントで販売する手づくり作家として活動し始める。並行してこども向け職業体験施設で働いていた。こどもを預かる資格も取ったり、イベントの企画をしたり、好きなことだけ出来ていたが、実家暮らしのおかげだった。

30歳を目前に、きちんと自立するために改めて会社員になるべく転職活動をし直す。どうしてもこども服がやりたかったので、分母の少ない求人に一生懸命応募するも、なかなか決まらない。派遣の会社に登録したところ、繊維商社で2ヶ月だけの生産管理の仕事が決まる。頭のいい人たちとの仕事は刺激が多く、大学を出て進路を選べる環境にあるということの選択肢の広さを感じた。商社から更新の話が出る前に、デザイナーとして応募したものの不採用だった会社から「生産のポジションが空くから来ないか?」と誘われ、こども服ブランドの生産管理として転職することになる。

ブランドの企画室はOEMと仕事の勝手が違い、最初はかなり戸惑いがあった。デザイナー・パタンナーが自社の人であることも、MDや営業と企画室の立ち位置も、新鮮さはありつつも、自分の仕事をどう作るかということに悩んだこともあった。同時に全国の百貨店に直営店のあるブランドがどんな姿勢でいるのかを学んだ。
在職中、取引先の工場さんや商社・OEMメーカーの担当の人と情報交換するうちに、アパレル業界の良くないところやもっと改善すべきと感じることがどんどん出てきた。モヤモヤを払拭するべく、結婚退職して次の道を模索することに。

偶然にもアパレルのIT化や効率化を目指している衣服生産プラットフォームの会社が東京に進出してきたので、そのビジョンに共感して入社を決め、同じ目線で現場を良くしようとする仲間に出会う。
アパレルのネガティブな部分をいかにポジティブにしていくかということを考えられるのはとても気持ちがよく、うっかり仕事にのめり込むあまり、新婚のくせに夫に負担をかけてしまうこともあった。(大反省)
どうしたら生産のトラブルは減らせるのか、どうしたら俗人的な部分をITの活用でスムーズにできるかなど様々な課題に取り組みつつも、通常業務としてはこれまでの経験値と引き出しを活かして、はじめてものづくりをする人
・ユニフォームを作りたい人・ファッションのプロの人など、幅広いクライアントと一緒に営業から企画、生産管理まで、日々ものづくりの現場とのコミュニケーションを取ること3年半。

不妊治療の末にようやく授かった新しい命を、間も無くこの世界へ解き放とうとしています。

紆余曲折あるわたしのキャリアですが、ものづくりはたのしいを伝えていくことに主眼を置いています。
こどもたちをあずかってワークショップをしたり、クリエイターの作品を広めたり、美味しいものをみんなで共有できるようにしたりと、日々を楽しんで生活できるアイディアや体験のできる地域コミュニティ型の実店舗の運営を、何年かかってもいいからやりたいというのが目標としてきたことです。

しばらくは大切な子の命を育むためにアパレルのものづくりの現場から離れるので、不定期にはなりますが、自分の知見だけではなく、twitterなどで交流をしている現役の専門分野の方からもたくさんのご意見をいただきながら、誰かの困ったを解決したり、また他の誰かのチカラになるようなnoteづくりをしていきたいと思います。

それから、もう少し自分の好きな手芸をゆっくりと作成できる時間のゆとりを持てたら嬉しいです。こどもの服も、たくさん作るんだ!


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【2023/11/12 追記】
無事に産まれてくれた娘は3歳を過ぎ、ほとんど体調を崩すことなく保育園へ毎日通っています。
母のわたしはというと、産休育休を経て復帰した会社を在籍7年目前で退社しました。
2024年春目標でずっとやりたいと言い続けてきたお店のOPEN準備と、夫の地元へ移住のためです。
noteでも進捗をご報告したり、ものづくりや教育に関する記録を書いていこうと思うので、引き続きよろしくお願いします。

ウトウ アヤノ 手芸研究家 * 繊維製品品質管理士(TES)
twitter    @ayano_uto
instagram @ayano_uto_ (個人アカウント)
       @festagraph (店舗アカウント)

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