見出し画像

『心にゆとりをもつ大切さ』



人は、

優しさを分け与える余裕が


心にあるときと

ない時があるのだということ。


例えば、

お母さんに、パートナーに、子供に、


いつも優しくしてもらって、


当たり前ということもないんだということ。




人間だから、疲れたら病んでたら

優しさをあげる余裕が生まれてこない

時だってあるということ。


そして、


優しさをあげる余裕がないのに

無理をする必要もないのだということ。



その人がいくら優しいからって

優しさをこちら側からもらおうとしたら

だめなんだってこと。

だって

愛は分け与えるものでしょ?

もらおうもらおうじゃ、

執着になるじゃない。


ちゃんと、余裕がないことを

理解してあげなくちゃ。


そして、相手が疲れてそうなら

自分に余裕があるのなら

相手の気持ちに立って


優しく接してあげること。


疲れた時、へこんだときなんかは

自分の心はいっぱいいっぱいですよね。

特に私は、生理前のイライラが酷く

ホルモンに左右されてしまいます。

(思い込みとかではなく、体にも症状が現れます)


そんな時、人に優しくする余裕はありません。

万が一、そんな状態なのに

自分を犠牲にしてでも

相手に優しさを分け与えていたら

きっと自分の心が病んでしまうと

思うのです。


心の余裕があるときは、

人に優しく。

equal

心に余裕がないときは、

人に優しくしてもらう。


という、コミュニケーションも

人間を生きる上ではすごく大切なこと

だと思うのです。


そして余談になりますが、

どんなことにも共通して言えるのは

ギブアンドテイク。

ギブギブしても、テイクテイクでも

だめなの。

必ずギブアンドテイク。

だから

愛になるはずだから。

双方にありがとうが出てくるのが愛だから。

ギブアンドテイクじゃないやりとりには

愛が存在しないんだから。

とも思うのです。



いつも優しいのになんで


今日はイライラしてるの?


嫌われたのかな?


じゃなくて、

今日の1日くらい優しくして

もらえなくても、嫌われたとか思わないこと。

そんな日もあるか。今日は私が優しくしよう。

で、ええやない。




ああ、今日はほんまにイライラすんなあ。

っていう日には、

優しくできない自分を垣間見ても

こんなんじゃだめなんて責めないこと。

イライラするさ。人間なんだから、

しゃーないしゃーない。


みんな危険じゃけん近づかんときい。

でええやない。


たまにはお母さん業務


休んだっていいじゃない。

それで死ぬとかじゃないんだから。



疲れてるんだなあって

休まないとなあって、

やさしさに変えちゃうこと。

自分にもそんなときあるよなあ〜って。


ちゃんと自分に優しくなれたら

人にだって優しく出来るのだから。


そんな執着から解放された


愛のある人間関係を育んでいけるように


柔軟に、バランスよくを


心がけていきたいと思います😌


※エゴも膨大は良くないけど、愛の膨大も
 執着になりやすいので危険ですね。

 心の調和を意識して、生きやすく、

 過ごしていけますように♪


最近絢香にハマってます🌼


Thanks :)