できないと感じるのは自分が成長した証。できることを精一杯、尽くす。

日が暮れていくのを眺めながら、のんびりと過ごしている。

午前中は研修だった。大学の同期、昨年度一緒に働いた後輩に会った。

そこで、大学の同期の子から心配な知らせを聞いた。
高校と大学で一緒だった子が今年度になって、長くお休みしているとのこと。中学校から小学校に異動したばかりだった。難しい子どもが多いらしい。


割と仲は良かったはずだけど、担当部活が変わってからはコロナ禍ということもあってかあまり顔を合わせる機会がなかった。
元気にやっているものと思っていた。
私も悩みは絶えずあるし、「休みたい」と毎日のように思う。だとしても続けられているのは、弱音を聞いてくれる人がいることが大きい。

「あなたらしくやればいい」「できてないと思ってるかもしれないけど、ちゃんと成長してるよ」「あなたと合わないという子はいる。でも、あなただからこそ救われているという子は絶対いる。その子のためにやればいい」

思い出せるだけでも、私に勇気を与えてくれた人たちがたくさんいる。続けてこられたのは、支えてくれた先輩たちのおかげだ。

年数を重ねれば重ねるほどに、自分の未熟さを思い知らされる。傷つくしキツいけど、ふと振り返ってみると、昔はできていなかったことができるようになっている。「自分はできてない」ということに気づけること自体が成長の証なのだと最近思う。

人と比較して落ち込むことが多い。不器用だから。才能はからっきしだし、そんなに努力家でもない。サボりたくて仕方がない。
彼女の療休はショックだった。この仕事の厳しさを改めて目の当たりにした。いつでも誰にでも、心や身体が蝕まれることがあるということを忘れてはいけない。


私は、一緒に働く人たちに恵まれている。
甘えさせてもらっているのだ。
少しでも自分ができることを増やして、自信をもてるようになりたい。
気負いすぎると疲れてしまうので、自分のできる範囲でコツコツやっていこうと思う。

こうやって書いていたら、いつのまにか日が暮れて真っ暗になった。
先輩とのランチはおいしかったし、本屋をぶらぶらするのも楽しかった。
意味もなく、目的もなく過ごす半日は心が安らいだ。間違いなくリフレッシュできた1日だった。

そろそろ家に帰ろうかな!

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