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その点数の背景には特定の家庭の生徒が有利になる社会的、経済的要因が絡み合っている|『なぜ東大は男だらけなのか』


なぜ、東大は男だらけなのか。

そのタイトルを見て、「大学進学率そのものも男女比で言ったら、男性が多いんだし、そんなもんなんじゃないの?」と思わないだろうか。

私は思った。

「問題が無い、とは思わないものの、何でもかんでもジェンダー問題に紐付けられてもな」と。

しかし、その実態は、驚くべきものだった。

東大生の九 二・六%が父親を家計支持者に挙げている(複数回答が可能なので、母親を選んでいる学生が三 九%いる)。父親の職業は「管理的職業」「専門的、技術的職業」「教育的職業」で七割を超えている。一方、母親は「無職」が三四・二%で一番多く、次に「事務」が一 九・八%で続く。家計支持者の年収は七五○万円以上が七四・三%で、なかでも一○ 五〇万円以上が三九・五%もいる。日本では「児童のいる世帯の平均収入」は約七四 六万円(二〇一八年)であるが、それと比べると収入が高めであることがわかる。

『なぜ東大は男だらけなのか』

これら一○の男子校で計七八五名、全合格者の二五・四%を占めている。実際にはこれ以外にも合格者がいる男子校はあるから、東大生のかなりの比率が 男子校から来ていることがわかる。日本の全高校数に占める男子高校の比率は二%に 過ぎないという現状を考えると、これがどれほど特殊なことかがわかるだろう。

『なぜ東大は男だらけなのか』

私立中高一貫校の学費は東大の授業料(二○二二年時点で年間五三万五八〇〇 円)より高額である。

『なぜ東大は男だらけなのか』

本書から見えてくるのは、“男性が”とか“女性が”とかではない、“ある条件を満たした男性しかいない”という“一般社会”とはかけ離れた東大の姿だ。


著者は東大の副学長!

著者は 矢口祐人

東京大学大学院総合文化研究科教授、同大グローバル教育センター長、同大副学長。ー九六六年、北海道生ま れ。米国ゴーシエン大学卒業。ウイリアム・アンド・メアリ大学大学院で博士号取得。一九九八年より東京大学大学院で教える。専攻はアメリカ研究。著書に『ハワイの歴史と文化悲劇と誇りのモザイクの中で』『憧れのハワイ日本人のハワイ観』『奇妙なアメリカ神と正義のミュージアム』など。

『なぜ東大は男だらけなのか』著者プロフィールより

出版社は 集英社

掲載誌・レーベルは 集英社新書

発売は 2024年02月


“東大”という世界が垣間見える1冊

日常生活で、東大を出た人と会うことはまずない。

とはいえ、我々のような“一般的な”人間だって、職場とかを見渡せば(多少バラつきはあるものの)周りの人間も同じくらいのレベルの学歴だったりするので、案外気がついていないだけで、社会というものはどこでもそんなものなのかもしれない。

しかし、それを踏まえても、異様に感じる東大の世界。

全国でも2%しか存在しない男子校の出身者が多く、そのほとんどが首都圏にある中高一貫校で、かつ親も東大の卒業者であることが多い……

とりわけ驚いたのが、東大自体も女子学生は全体の2割ほど。

ということは、中学から大学を卒業するまで(下手したら就職をしても)男性のみの(しかも、家庭環境や経済状況等も似通った)環境に身を置いているということである。

想像もつかない。

見方を変えれば、ずっと同じような条件の相手と戦い続けなければならないというのも怖い。

更に、そんな中で多様性どころか、少し条件の違う相手とすら知り合うことなんてどのくらいあるんだろうか。

著者は、この似通った人間しか存在しない、という東大の現状に警鐘を鳴らしている。

確かに、思い返してみれば、テレビで(東大の出身者とは限らないが)「頭の良い人だろうに、なぜ普通の人でもわかるような言ってはいけないことを言ってしまうんだろう」というものは、案外、こういう環境から生まれているのかもしれない。

“違う存在”が存在しないから、扱いを間違える。もしくは、“自分たちの間では一般的な認識”が、多くの一般的な認識から著しくかけ離れている。

著者の言うクォーター制度を導入して云々は、東大を運営する側からすれば切実な問題かもしれないが、我々外側の人間からすれば「いずれ東大が一番じゃない時代が来るのともあるのかも」くらいだが。

かつて、東大の祝辞で上野千鶴子さんが

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

ということを述べて波紋が広がったことがある。

記憶が正しければ、多くは反発だったように思う。

私も、全てのことに共感しているわけではないし、正直に言えば、強く歪んだ選民意識のようなものさえなければ、別に男女比なんて問題ないように思う。

ただ、“恵まれている”というのは、何もしなくても与えられることではなく、欲しいと努力した時に、努力を出来る環境、その結果を手にすることが出来る環境だということは知っている。

そして、それは東大だけのことではなく、私たちも自分たちが身を置く社会の無意識のバイアスで誰かを虐げてはいないか。
全てを解決できることではなくても、意識すべきなのかもしれない。


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