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「便利」の残酷さ。

しばらく忙しくしていて、ちゃんと考えたいけれど今はその時間がない!という事柄について1文、2文だけ書いて下書きに突っ込む、ということを繰り返していた。
やっと修羅場を終えたので文字にして出力しつつ考えていこうかな。思えばnoteを始めたのは、タスクをたくさん抱えた状態で脳みそがいっぱいいっぱいになり、とにかく文字にして出力しなければ気が狂ってしまう!と追い詰められていたのがきっかけだった。

数日前の自分へ。やれば終わる。

受験生の時に一番強く思ったことだが、苦しいこともいつかは終わるのだ。泣いても笑っても寝て起きてを繰り返していればその日は来るし、その日が過ぎれば受験は終わる。過ぎ去った時を戻すことはできないし、時を止めることもできない。

数日前までの私も、「やれば終わる。やれば終わる。」と自分に言い聞かせ、ヒーヒー言いながらタスクを片付けていた。そんな状態だからこんなことを考えていたんだろうなあ、と下書きを眺める。
ということで、無慈悲で平等で、時に救いにもなる「時間」と「便利さ」について、書き留めておく。

便利な時代って残酷だな、という話。

ドラマやアニメは毎週時間を作ってテレビの前に待機しなくても、いつでもサブスクで見ることができる。絶版になった本は電子書籍で手に入り、簡単に読むことができる。なんて便利な時代だろうか。

時々、この便利さが残酷に思えることがある。
「いつでも」という便利さは、生活を豊かにしてくれる。日が沈んでも活動できる電灯、早朝だろうが深夜だろうが営業しているお店、家を出なくても食料が手に入るデリバリー、指先ひとつでリアルタイムで世界とつながるインターネット。けれど、常に進む時計の針を止めることはできない。お金持ちも貧乏人も、赤ちゃんも老人も、1日は24時間だし、人はいつかみんな死ぬ。

何か大そうなことを書いているが、そもそものきっかけはこれである。

グッズ欲しい~!!!!!!

遅ればせながら先日、MIU404をネトフリで全話視聴した。
アンナチュラルが好きだったので、
・同じ野木先生が脚本
・一時期はまりにはまった綾野剛さんが出演している
と来れば好みなのは確定事項。
いつか見ようと思いつつ、例によって優柔不断と後回しという悪癖のために最近まで見ていなかったのだが、やっと見た。
これについてもきっかけがあるのだが、あまりに話が脱線するので、別の記事で書こうと思う。

話を戻すと、MIU404、最高だった。大好きなドラマがまた増えた。
元々好きだった綾野剛さんの魅力にとらわれてしまったのはもちろんであるが、星野源さんにも虜になってしまい、まんまと彼の作った音楽を聴き、ラジオをお供にタスクに取り組んでいた。著書についても近いうちに読みたいと思っている。

以下ネタバレ注意。
…そろそろタイトル詐欺だろふざけるな!という怒号が聞こえる気がする。ごめんねちゃんと最後にはそこに着地させる(つもり)。何とも横暴な筆者である。
私の記事は全編この調子で進みます。
なぜなら脳みその声をそのまま文字にしているから。
脈絡のなさは通常運転。

また話が脱線しかけたな。MIU404の話に戻そう。

間に合わなかった二人が間に合わせるまでの話。
物語というのはこうあってほしい、と祈るような気持になった。
道を踏み外しそうになった時、落ちた落とし穴から這い上がれなくなった時、互いを道しるべに、戻ろうとあがき、戻ってくる彼らの物語に心を打たれた。
彼らの物語にもっと触れていたい。
そんな思いで、ネットの海をさまよった。
どうやら、シナリオブックとメモリアルブックなるものがあるらしい。ディレクターズカット版とやらと合わせるとさらに楽しめることも知った。手に入れるしかない。だがしかし。

売り切れなのだ。

もちろん、手に入れる術がないわけではない。TBSショッピングで売り切れなだけ。けれどオタクたるもの、公式にお金を落としたいのだ。それができないのは辛い。口座番号を教えてくれ、と振込やくざになる前に、合法的に貢がせてほしいのだ。

間に合わなかった彼らが間に合う話なのに、私は間に合わなかった…!!

便利な時代である。4年近く前に放送されたテレビ番組を、CMなしで楽しめる。グッズなどの関連情報も、少し調べればすぐに手に入った。
だけど、そうして便利を享受しているからこそ、SOLD OUT の文字を前に、私とMIU404の間にある4年という時間の壁をより強く突き付けられる。
甘い蜜を吸ってしまえばもう戻れない。存在するのなら手に入れたい。

結局、メルカリで買った。手に入れられた喜びと、どこか感じる虚無感。
こんなことをしても、4年の壁は超えられない。むしろより高くなったようにさえ感じる。

本来なら間に合わなかったはずの私が、こうしてMIU404を楽しめたのは、間違いなく便利さのおかげである。それなのに、その便利さに触れたことで、虚しさを感じるなんて。もはや八つ当たりである。
それでも、やっぱり便利って残酷だなあと思ってしまうのだ。
本来遠く離れているものが、すぐ近くにあるように感じてしまう。触れようとしても触れられない。まさにガラスの壁で隔てられているようだ。
その壁が何らかの手段で壊せるのならよかった。けれど、こと時間に関しては、為す術はない。むしろ、気づいたことで透明なガラスの壁より高く、厚くなり、曇っていく。それなのに、便利を享受している私は、今更この便利さを手放す勇気はないのである。

生活を豊かにしてくれると思っているものに、いつの間にか支配されているような感覚がある。私の人生は私のもので、いつかは私も死ぬ。無駄にしないように、というのは難しくても、その無駄さえ愛しく思えるような人生を送るにはどうしたら良いのだろうか。考える日々は続く。

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