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一般社団法人日本ワーケーション協会を設立、その心とは?

2020年7月に一般社団法人日本ワーケーション協会を立ち上げました。そこに至るまでの私の経緯や想いを綴ってみます。

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一般社団法人日本ワーケーション協会の代表理事、入江真太郎です。noteでは初めての記事を書きます。

昨今、ワーケーションという言葉が独り歩きする中で当協会は立ち上がりましたが、実際はそれよりも少し早く、設立の準備を進めていました。

今回は、自分自身が何故、協会を立ち上げ、そしてどこを目指していきたいのか。率直な自分の想いを綴ってみたいと思います。

全国の方々と関わり合えた生い立ち

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(↑長崎で産まれ、転々としてきました)

私自身の話をすると、父親の転勤の関係で、長崎で産まれたものの、小さい頃から高校まで、兵庫、秋田、茨城、徳島と全国を転々とする生い立ち。

大学は京都の同志社大学へ進学し、その後社会人として、大阪の大手旅行会社へ就職し、その後別の海外進出の支援の仕事をした後に、現在、観光事業を行う会社も経営をしています。

大手旅行会社時代は、大阪発着の全国のツアーを企画造成しており、このときにも様々な地域の方々と一緒に仕事をする機会がありました。

生い立ちが生い立ちなだけに、地域の違いというのは身体に染み付いていました。それでも、地域性を知ることは楽しく、新しい土地は毎回楽しみでした。

なぜ、東京だけなの?

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(↑景色は大好き、東京表参道)

私はたくさんの出会いの中で、今の日本において1つの違和感がありました。

「なぜ、東京を選択する人がこんなにも多いのか?」

それは素朴な疑問でした。

私自身は、全国を転々として様々な地域の方々と関わってきた肌感覚から、こんなにも多様性のある日本は本当に素晴らしい!と感じていました。

しかし、実際は企業の集中に伴い、東京へどうしても人が集まってしまう構図。仕方のない、やむを得ない理由に気が付きました。

そこで、色々な地域に経済を還元させて、ゆくゆくは地方都市でビジネスを産み出すことがしたい!という理由から観光産業の世界に入りました。

最初は「知ってほしい」から始まりましたが、どんどん「産み出したい」という想いが強くなりました。

大手旅行会社を退職して

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(↑札幌で仕事中に遭遇した、猛吹雪)

結婚を考えていた頃に大手を退職するのは勇気が入りました。

だけど、もっと世界は大きいはず、もっと地域の事を知りたいと超小規模な会社へ。

ここでは海外進出の事を学んでいきました。今でも携わっていますが、経済を動かす観点から海外の方に日本のものを買ってもらい、日本の経済を潤したいと考えていました。

そこには、自由な働き方がありました。その当時から、特に札幌や沖縄、福岡等仕事をしに行っては空き時間に地元に触れて、そして仕事する。

当時はワーケーションという言葉を知りませんでしたが、やっていたことは今考えるとワーケーションそのものでした。

そしてその勉強の後、観光事業をもっと行うために大阪で自分の会社を立ち上げました。ローカルな経済の活性化をもっと携わっていきたい。自分の経験を活かしたいと考えていました。

仙台で感じた、ワーケーションの魅力

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(↑仙台城へは滞在中の朝の散歩でした)

ある日、ふと渡航先でアポイントを一切取らない仕事をしようと思い立ち、その目的地を仙台としました。

東北に在住経験のある私は東日本大震災後は2,3年程は仙台を訪れていました。

その仙台を訪れたのはその4年後の2018年春。

最初は元気になった仙台で飲みに行こうとだけ考えていてその他の時間はガッツリ仕事をしようと思っていました。

しかし、仙台に着いてから、ふと考えたのです。

そうだ、荒浜にいこう。

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(↑生々しく残っていた、震災の傷跡)

荒浜は、仙台市若林区の沿岸沿いで、東日本大震災で壊滅的な被害を受けました。

荒浜小学校が資料館となっていて、自然災害の恐ろしさと復興への願いを改めて感じるとともに、今を一生懸命に生きること、そして人生は長くない。だからこそ、成し遂げていきたいことをやり抜かなければ。

強くそう感じました。

そして、翌日以降、脳がリフレッシュしたのか、かなり仕事も捗り、そして仙台の街も楽しみながら過ごしました。時にはゆっくり今後の展開を考え、大阪では絶対に考えなかった事を創造できたと感じています。

僕の場合は、フリーランス型のワーケーションをしていますが、その中で、勉強をし、自らの目的を見つける。

そしてまた新しい発想が産まれてくる。

当時はあまり深く意識はしていませんでしたが、本当に素晴らしい仙台の滞在だったと今振り返ると思います。

そして、たくさんあるワーケーションの1つの形を、無意識にやっていました。

ワーケーションのビジネスの世界へ

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(↑外国人観光客が増えていた大阪難波)

仙台での経験だけでなく、その後は自分自身の仕事の中で、様々な地域と関わることが増え、どの様にして経済還元をするかを念頭に置いたビジネスを考えていきました。

それが観光業ででき、特にインバウンドが大きいと考えていました。大阪ではシェアオフィスを借りていますが、知らない外国人の人がたまにいるので受付の方に聞きました。

すると、「ワーケーションで大阪に来る外国人はいますよ」という回答だったのです。

2019年夏頃でした。ちょうどその頃から、海外からワーケーションに来る方向けの事が何かできないかと考えるようになりました。その時はまだ何も答えは出ず、ぼんやり思い描いた状態でした。

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(↑大阪梅田のオフィス街)

そして、2020年冬〜春、新型コロナウイルスの猛威。

初期のコロナ禍において、勿論自分自身も仕事の8割が吹っ飛ぶ中で、ふと、昨年の夏に思ったことを思い出しました。

テレワークも普及しそう、働き方も変わりそう。でも、ワーケーションの現状ってどんなんなんだろう?

そこで調べて感じたのは、

・まだまだこれから成長する産業だったこと
・取り組みはたくさん進んでいるが、利用者目線で情報がバラバラしていたこと
・地域経済活性化にとって非常に大きな要素を持っていたこと

そして、

・これからの日本の社会において、求められるものだということ
・フラットな立場でまとめられる存在がまだなかったこと

でした。

社会に間違いなく必要なものだと直感で感じ、直ぐに動かなきゃ!って思った私は、今の協会の理事・監事の3人に直ぐに話したら、皆が一緒に一般社団法人を立ち上げて、課題解決を目指して普及していこう。そういう結論に至ったのです。

これは2020年の5月、ゴールデンウィークのことでした。

そして、2020年7月に設立となりました。(登記完了は8月)

これからの想い

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(↑地方にも増えてくる、交流・ワークスペース、徳島県三好市)

このような経緯で私達は一般社団法人日本ワーケーション協会を立ち上げていきました。

そのため、目的はシンプルで、

・テレワークやワーケーションを豊かなライフスタイル実現の手段を捉え、自由に選択できる社会を目指す
・場所にとらわれない働き方による地域経済活性化

です。

でもその目的の達成の先には、5年後、10年後へ向けた日本社会自体の変化。新しい働き方や価値観の創造、地域の課題の解決等、もっと大きいものがあります。

私自身も、もっともっと、勉強が必要です。

だけど、これからの未来のために、そして自分自身としては、大学を卒業してからの選択肢は東京以外にもあり、日本には様々な多様性がある、そんな広い価値観の社会にしていきたい、それがワーケーション事業を目指したいそれは、元々考えていた私自身の考え方でもあります。

自分も成長をしていくことで、勉強をしていくことで、新しい日本の姿が少しでも色んな方々に見えてくると、こんなにも嬉しいことはありません。

私自身は旅行会社出身という事もあり、どうしても旅行業や観光業の考えから入りがちです。しかし、ワーケーションは様々な業種の観点から見ることができ、非常に多様性があります。本当に目的を達成するためには、多くの方々の力が本当に必要だと痛感しています。

まずは事例を作り、信用を作ることから始めなければなりません。それでも、スタートしたばかりですが、お陰様でたくさんの出会いができました。

こんな短期間でたくさんの方々と関われていること、支えられていることに、本当に心より感謝を申し上げます。

こんな私ですが、これからも一生懸命ベストを尽くしていきますので、どうぞ、宜しくお願いします!

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