IrisAgate(あいりす)

大学生の鬱々とした日々を綴ります。 双極性障害Ⅱ型と社交不安障害(会食恐怖症と書痙の症…

IrisAgate(あいりす)

大学生の鬱々とした日々を綴ります。 双極性障害Ⅱ型と社交不安障害(会食恐怖症と書痙の症状が顕著です)の診断を経て、5年間ほど通院しています。 大学では心理学を専攻しています。 精神病のことや心理学、たまに短歌のことを発信していきたいです。 よろしくお願いします。

最近の記事

私の中の複数のわたし

 人は誰しも多くの仮面を持っている。  学校でのあなた、職場でのあなた、友人の前でのあなた、家族の前でのあなた、独りのときのあなた……。  どれが本当のわたしなのだろう? と思ったことはあるだろうか?  私には、ある。  「本当の自分とは何だろうか? 演じている仮面をなぜつけているのだろうか?」と哲学書や心理学の本を読んで自己探求にいそしんできた。  でも、本当の自分なんてものは見つからなかった。  そんな底なし沼にはまっていた私に梯子をくれたのが、ハーマンス(Herman

    • 過ぎた不幸を悔やみまくろう

       日常生活を送っていると、ふと過去の失敗という名の猛獣がフラッシュバックを引き起こすことがある。あなたも夜、過去の失敗を思い出して枕に顔をうずめながらベットで足をバタバタしたことがあるだろう。  私の過去の失敗を紹介すると例えば、授業参観のときに、手を挙げ発表者にはなったものの答えることができず恥をさらしたこと。自〇しようとして精神病院に強制入院したことなど思い返せばキリがない。  大小あるが人はみな、猛獣をこころのなかに住まわせ、またこの猛獣を刺激しないように過去の失敗に蓋

      • 僕そっくりの人形

        僕に似た人形がある ガラスケースに閉じ込められていたそれを無視できなかった。 人形を机に置けばなんとなく これに愛情を―母から与えられなかったすべてを―与えれば、幸せになれると思った。 今まで僕に与えられなかった愛情を 僕がこれに与えることで 愛情が得られると 本気で思った。 着てみたかった服 誰かにかけてもらいたかった言葉を与えては、 誰かに優しく触れて欲しかった頭や頬を撫でては、 満たされていくのを感じた(嗚呼、こうして欲しかった) 理想の僕となった人形と 僕との境

        • ノベルゲーム『君といつかの再会を』の考察&感想

          ノベルゲームコレクションのティラノフェス2023参加作品に『君といつかの再会を』というサークル"Nameless Library"の作品があり、それをプレイしながら心理学的に考察しました。 リアルタイムで考察しながらプレイしたので、かなり的外れなことが書かれています。 それをご了承の上でお楽しみください。 以下、ネタバレを大いに含みますので既プレイの方は下へスクロールしてください。 未プレイの方は君といつかの再会を - 無料ゲーム配信中!スマホ対応 [ノベルゲームコレクシ

        私の中の複数のわたし

          自己紹介

          どうも初めまして、IrisAgateです。 もうすでにいくつか記事を書いていますが、改めて自己紹介をしたいと思います。 前置き 趣味紹介 将棋 わたしが通っていた高校は部活動強制参加でした。その高校の良心として怪しい光を帯びていたのが将棋部。週1回の活動でかつ将棋をせず喋っているだけでいいというパラダイスが、わたしに手招きをしていたのです。尻軽女よろしくこの誘いに尻尾を振りながら入部したのです。 しかしまあ、たまに将棋を指すと面白いのです。たまに指す程度でしたが、高校時

          不幸なわたしが好き

           精神科で処方される精神薬を飲むことに抵抗がある。といっても、「精神薬なんか飲んだら廃人になってしまう!」というような考えが理由ではない。  ひきこもり、落ちぼれて、生産性がなく、死にたくなっている不幸なわたしが好きだから精神薬を飲まないのだ。  わたしはこの状態を「寝そべり族」と自称している。中国の(大卒)若者の間で「タンピン(寝そべり)族」というのが流行っているそうだ。これがわたしを触発した。タンピン(寝そべり)族とは……  この考え方、生き方の源流は老荘思想にあるだ

          不幸なわたしが好き

          自殺の礼儀作法について

           この一節はアダルトゲーム『さよならを教えて -comment te dire adieu-』の歌詞であるが、わたしはこの一節を聴いたときに違和感を覚えた。 「なぜいまから自殺するのに上履きをそろえる必要があるのだろう」と思ったのだ。もうこの世とはおさらばするのに、礼儀良くする必要なんてないのに……。  思うに、自殺とはこの世からあの世へと向かう際の儀式であり、自殺する者は自殺を通過儀礼(イニシエーション)として捉えているのではないか。  イニシエーションとは…… であり、

          自殺の礼儀作法について

          双極性障害と諦め

           わたしは双極性障害を患っている。  かれこれ5年の付き合いだ。抑うつエピソードと躁エピソードの絶え間ない波を乗り越えてきたが、とうとう限界がきた。正しく言えば、もう病気と向き合うことを諦めたのだ。  双極性障害の特徴として、躁エピソードのときには誇大妄想と行動力の向上が、抑うつエピソードのときには希死念慮とエネルギーの減退が現れる。  躁エピソードのときに掲げた目標(自分の実力とは乖離している)に向かって努力している途中で抑うつエピソードに入り、目標の完遂ができなくなると

          双極性障害と諦め

          自分らしく生きられない人間廃棄物

          自分らしく生きられない者を、社会学者のジークムント・バウマンは「人間廃棄物(wasted humans)」と呼んだ。 何回、「将来の夢」を自己紹介カードに書かされただろう。 何回、「何者かにならなければならない」という遅効性の毒の杯を飲んだだろう。 子どもの私は何も知らず、将来に期待を抱きながら嬉々としてその杯を飲んでいたとは何という悲劇だろう。 毒が効いてきたようだ。 何者にもなれなかった私の横顔を覗きこんでいる、幾人もの光り輝く私。 建築家、医者、薬剤師、社長として

          自分らしく生きられない人間廃棄物