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私は浴槽に住むことにした 第一話

風呂に入っている時に、こう考えた。
自分が今リラックスできているのは、主に二つの要素による。温かいお湯と、適切な閉鎖空間である。特に後者は、何かと雑音の多い現代において、何もしないことを肯定してくれる存在である。そして、自分にとってその閉鎖空間が精神の安定に占める割合が大きいと気づいた時、私は浴槽で暮らすことを決心するに至った。お湯を抜けば、ゆっくりとここで暮らすことが可能だ。

何を突飛なことを、キミはパラノイアか、と思うかもしれないが、思えば精神の安寧は私にとっても最優先事項であり、浴槽はその条件を完璧に満たしてくれるという不思議な確信があった。私は至って真面目なのである。こうして私の浴槽生活は始まった。

1日目
私の風呂は体を洗う場所と浴槽の2つのブロックに分かれている。湯船には浸かりたいからそこにはお湯を溜めねばならない。だから、体を洗う場所に色々な生活用具を置かざるを得ないのだ。湿気がすごいが、これも一興だろう。
......ふと外の空気が吸いたくなって、風呂の窓を開けた。朧月夜だ。浴室にいると、自分と世界の関わりが薄れて、自分が本当に存在しているかわからなくなってくる。まさに朧である。

とはいえ、外から帰ってくると、浴槽以外の場所を経由せずにもいられない。ふとベッドに腰掛けて、考えずにはいられないことがある。私は人類の中で何番目の人間だろう。能力的な話で。何を成し遂げたか?気力は十分か?気にせずにはいられない。こんなことを考えてしまうのも、近頃の競争社会のせいだ。この国のゲームモード「東京」では、より良い職に就き、より良い家に住み、より良い車、鞄、財布、服......etcを所有して、家庭を持ち、子供を立派に育て、多くの親戚に見守られながらあの世へと旅立つというのが最善の人生であり、まずはいい会社に入るために子供の時から受験に備えて勉強する日々を送る。自己を内に篭らせて出てこないようにしてしまう。そのうち何をしたかったかすら忘れてしまう。くだらない。もっと人生を楽しめばいいのに。どうせ1000年後には誰もあなたのことなど覚えていない。みんなでシェアハウスでもして安く住んでしまえばいい。食費も自炊して安く済ませよう。この身一つさえあれば十分だ。あとはギターを弾いて、小説を読んでくらそう。それが俺の理想だ。

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