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花を飾ること(写真物語)

 わたしはある花を見た。1輪だけで咲いている鉢植えの生きている花だ。

 その花を美しいと思う。花の美しさを「美ととらえる」心を、わたしは持っていた。

 この花を見ていたら、摘みとって、髪に飾ってみたくなった。美しいものを身につけることによって「美しいわたし」になれる気がした。

 ほんとうに、花を髪に飾ってみた。

 本当に、いま自分は美しいのだろうか。そのことをわたしは確かめたくなった。

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 まず、鏡の前に立った。しかしそこに映ったわたしは、目も耳も手足も、そして飾った花の位置も、つまり全ての左右が逆になっていた。だから、こんなものは本当の自分の姿ではないと思う。

 つぎに、デジタル・カメラを三脚に取り付けて、自らを撮って、現像してみた。現像した印画紙には、当然だが、少し前の過去のわたしの状態が写っていた。

 状態は変化する。厳密にいえば、飾った花の色の鮮やかさや花びらの開き加減は、摘み取って飾り終わった時点から変わってゆく。花の表情の変化は飾る自分の印象にわずかとはいえ影響を与えるはずだ。だから、印画紙に写ったこのわたしは、ほんとうの「現在の確実なわたし」であるとは今の自分には感じられない。

 鏡ではダメだった。写真を使っても納得することができない。

 通常は背面に付いている液晶モニターが撮られる側に回転させられる機能のついたデジタル・カメラなら「左右の正しい、いまの、自分」を確認することができる! とも考えたが……。画面が小さいし、ころころと画質を変えてしまうことができる……。こんな装置の再現性や正確性を信頼することはわたしにはできないと思った。

 結局、人にたずねてみるより他にないのかもしれない。「いま、わたしは美しいですか?」

「髪に飾っている花は確かに美しいと思います。でも、あなたは男性だから、やめたほうがいいですよ……」

うつくしさとはなにか。

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