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砂場で〇〇〇を掴んだら‥

1980年代の後半にアメリカで出版され、のちに日本でも訳本が話題になった、こんな本がある。


ロバート=フルガム 著
『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』
訳者 (いけ ひろあき)
出版  河出文庫,河出書房新社
※文庫版の初版は1996年。
※フルガム氏のオリジナルの出版は1986年と1988年。


アメリカで、カウボーイ・歌手・IBMのセールスマン・画家・牧師など、さまざまな職業を経験し、やがて50代を迎えようかという年齢になったフルガムが、自分の身のまわりに起こった出来事を素材として、それについての考察をまとめた随筆集である。収められている話は全部で52編。日常の、ありふれた事象について抱いた感想を独自の視点で書き記したものが中心だが、時折り加えられる彼自身がそこから導き出した「人生訓のようなもの」が非常にユニークで、それが、多くの読者の共感を得て、大ベストセラーとなった。


中でも「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」—   表題作となっているこの短編は、フルガムの感受性や考え方の面白さが顕著にあらわれた文章だといえる。
若いころから彼は、毎年の春になると生活信条  —  共同社会を生きていくうえでの自分に課すルールのようなものをノートに書き出しておくようにしていた。
やり始めのうちは、1年の暮らしぶりを振り返りながら、やや力の入り過ぎた大げさな文章を作り上げていた。だが、人生経験を重ね、物事に対する解釈の幅にも余裕が生まれてくると、それが段々と、肩ひじの張らない文体で、しかも要点を簡潔にまとめたものへと変化していく。そしてある年、1つの真理に行き着く。
《こんなことは、すでにわかっているではないか》
と。


私たちは幼いころ、保育園や幼稚園で先生からこんなことを教わる。
・何でもみんなで分け合うこと
・ズルをしないこと
・人をぶたないこと
・使ったものは必ず元のところに戻すこと
・ちらかしたら自分で片付けること
・人のものに手を出さないこと
・誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと
    など……
《わたしの考える生活信条  ― 社会人としてわきまえるべきルールなんて、この時期にすでに学びおえているではないか》
彼はそう結論した。つまり、ある程度の読み換えは当然必要だが、これらはすべて、大人の社会でも通用するルールである。
そして、フルガムはこれを「幼稚園の砂場で学んだ」と表現した。


「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
この1つの短編でフルガムは「砂場」を、幼少期における学習の場所の一例として挙げた。
彼のその主張の内容とは異なるけれど、同じく「砂場で学ん」でいた、ある幼い子の姿を、私は見たことがある。
それは幼稚園ではなく、小さな公園の砂場だった。ほとんどのところでは、近所に住む野良猫や散歩に来た犬が糞(ふん)をしないよう、表面にプラスティック製のネットが掛けられているが、その砂場には無かった。
四角い砂場の端のほうで、持っていたダンプ・カーのおもちゃを手で走らせて、5歳くらいの男の子がひとりで、しゃがんで遊んでいる。彼の目と声の届く距離に、母親らしき女性が、連れと2人で立って話をしていた。
少し離れたところにあったベンチに座り、私は何となくその様子を見ていた。
ダンプ・カーを走らせたり、砂をすくって荷台に流し込んだりして、男の子は遊んでいる。母親は相手に顔を向けて話しながら、時折り、彼のほうにも目を向けている。


しばらくすると男の子は、砂の中から何かを手でつかんだ。
それは、サラサラした感触とはちがう、明らかな「異物」だった。ねっとりとした茶色い粘土質のものが彼の小さな指に絡みついている。
それは動物の排泄物のように見えた。彼の表情が急に曇りだす。触ってはいけないものだとわかったのだろう。立ち上がって母親のほうを見ている。何か言葉を発したいのだが、それができない様子だった。
彼の異変に母親が気づいた。状況を彼女は理解したのであろう。泣き出しそうな顔で立ちすくんでいる彼に声をかける。


《オッケー!OK!! あっちにトイレがあるから、そこで手を洗ってこーい!》


元気な声でそう伝えながら息子に笑顔を向け、右手の親指を突き出して「大丈夫!」のサインを彼女は送っている。
私は少し意表をつかれた。もっと深刻で暗い反応を母親が示すのではないかと思っていたからだ。たとえば、息子のもとへ駆け寄っていき「砂場は汚いから気をつけてね…」などと彼の行動をたしなめながら、困った顔をして手洗い場まで付き添っていく…。そんな姿を予想していた。


《オッケー!OK!!》
母親のその言葉に、男の子は黙ってうなずいた。
彼の顔に戸惑いの表情はもうなかった。排泄物で汚れた手をブラブラと軽く振りながら、小走りで公衆トイレまで駆けていった。


この一連の様子を見て私は思った。
彼はこの先も、きっと大丈夫だろう。
まだ子供のうちはひとりで何か行動をする際、予期せぬ事態に不安や迷いを感じる時が必ずある。そんな時かれらは、まわりに居てくれる大人をさがす。そして、それが自分の親だった場合、彼らの望むものは「気にするな・大丈夫だ・心配ない」というメッセージをあらわす表情であり声ではないだろうか。
公園で見たこの場面を用いて、私がたとえて言うなら、
《犬や猫のウンチを掴んでしまっても「大丈夫」なんだと教えられた経験をした者こそが、やがて成長した時にはクマやライオンのウンチだって掴みに行けるゾ、という積極性や主体性を持つことができる》
ということだ。


『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』。
キャッチーで印象的なこのタイトルのせいで 、幼児教育に関する本だと思い込み、保育士や幼稚園の先生が誤って書店で買ってしまうということが今でもあるらしい。
そんな冗談半分の話はさておき…


たしかにあの子は、人生で必要なことを「砂場」で学んだのではないかと私には思えた。幼き日のロバート=フルガムの体験とは、かたちこそ少し違うけれど……
       

   
(おわり)
※作中で紹介した本の購入リンクを貼っておきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました
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