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2022年11月 札幌ひとり旅7 北海道大学

札幌に来て2日目
この日は北大へ

東大に雰囲気が似てる

さすが旧帝大。

紅葉がきれい。

北大の構内を流れる川、サクシュコトニ川
川沿いのベンチでコーヒーを飲むカップルがいたり。
学生だろか。

古川記念講堂(旧東北帝国大学農科大学林学教室)

旧札幌農学校昆虫及養蚕学教室もきれいな建物なんだけど、修復中で見られなかった。。

クラークの胸像

農学部校舎
昭和初期の建物みたい

そして、北海道大学総合博物館へ

https://www.museum.hokudai.ac.jp/outline/building/

北大構内にある鉄筋コンクリートの本格的建築としては最も古い建物とのことで昭和4年11月に完成

これは安田講堂なのだけど、この入口の感じが似てる
ちなみに、安田講堂は大正14年竣工
まぁ、北大の方がマネたんだろうな。
ちなみに他の旧帝大も気になるが。

そして、北大の成り立ちとかもけっこうしっかり読んだんだけど、お雇い外国人、イギリス、フランス、ドイツが多いイメージなのだけど、札幌農学校だね、が、開拓といえばアメリカ、というので、米国農務省長官(農務局長)ホーレス・ケプロンを招聘したのだ、と。
よく来てくれたな。。
そして、ホーレス・ケプロンの進言により、畜産技術はエドウィン・ダン、札幌農学校(北大の前身)の教頭として、ウィリアム・スミス・クラークを招いたとのこと。

これらの資料から2,690人のお雇い外国人の国籍が確認できる。内訳は、イギリス人1,127人、アメリカ人414人、フランス人333人、中国人250人、ドイツ人215人、オランダ人99人、その他252人である。また期間を1900年までとすると、イギリス人4,353人、フランス人1,578人、ドイツ人1,223人、アメリカ人1,213人とされている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E9%9B%87%E3%81%84%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA

あら、初期は、アメリカ人、2番目に多かった。
ただ、やっぱり、開拓使での登用も多かったみたい。

アメリカ人の場合は54.6 %が民間で、教師が多かった。政府雇用は39.0 %で文部省が15.5 %、開拓使が11.4 %であるが、開拓使の外国人の61.6 %がアメリカ人であった(ホーレス・ケプロンやウィリアム・スミス・クラークなど)

だからね、北大の建学の精神の第一が、フロンティアスピリットなの。
で、クラークは9か月しか札幌にいなかったのだけど、教え子をどんどん送り込んで、この、フロンティアスピリットを注ぎ込んだのだと。
正直、涙なしに見れなかったよ。
開拓使、屯田兵の最初の苦労なんて、想像に難くないし、なんだろうなー。
例えば、戦後、グアムでだったら、横井庄一は28年、生き延びていく事が可能だったけど、北海道なんて、家なしでは生き残れない。
寒さは死に直結する。

素敵な大学だな、って、心から思った。
うちの子たち、北大に行かないかしら、って。。
もちろん、メチャクチャ難しいことも存じ上げていますが笑

そして、様々な学部のポスターセッションを見て回って、確信した。
私は、大学の4年間、全く何も学んでいなかった、って。
いわゆる、私立文系の、ってやつです。。
はー、恥ずかしい。
それに、今になってみればねー、どんだけ学費払ってたんだ、って。
興味のあることもたくさんあったはずだし、もっと勉強すれば良かった・・・って、おじさんおばさんはみんな言うよね!
後悔は先に立たないし、年を取らないと分からないことも沢山ある。

そして、子どもが見ても楽しい展示もけっこうあった。

そして、北大の学食でお昼ご飯食べようと思ってたんだけど、11:30~13:00は一般客は遠慮して、と書いてあって、うっかり、11:40だったので、仕方ない、お昼ご飯は違うところへ。

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