見出し画像

旧東海道歩き156 土山宿と脇往還

画像1

軒先に鳩の置物。
鳩よけだろか、なんだろ。

画像2

緩やかに曲がる道
で、ここら辺ぐらいからかなー、普通、なのかなー、自家用車の駐車場って

こういう風に1階部分に収納というか、入ってるイメージなんだけど、ここらへんから、狭い道なのに軒先に停めてる車をよく見かけるようになる。

画像3

あいの土山 宿場まつり
早くコロナ禍が収まると良いな

画像4

森鴎外の祖父が亡くなった土地とのこと。
そして、その祖父のお墓が荒れていたことから、鴎外が改葬を常明寺にお願いした、と。
そして、昭和28年に、故郷の津和野に移葬された。
ほんと、少なくとも江戸時代は、遺体を故郷まで持ち帰る、っていう文化が無かったんだろうなぁ。

で、典医でさえこうなのだから、庶民なんかもう、亡くなったらそこで弔ってもらうしかない。

画像5

土山宿

画像6

画像7

ここから、中山道の愛知川宿への脇往還になっている、と。
で、それが、皇族の名代が伊勢神宮詣でから多賀大社へ行くときに使われたのだそう。

すごいサイトを見つけた

日本歴史旅行協会だって!
っていうのと
「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」
っていう俗謡があったのだと。
で、多賀大社は伊邪那岐命(イザナギ)と伊邪那美命(イザナミ)を祀っていて、伊勢神宮が天照大神(アマテラスオオミカミ)を祀っているから、親子関係にある、と。
なるほど。
あと、もう一つ、すごいサイト

案内板から文字認識して文字起こしされてる。
すごい時代だぜ!!

脇往還かー
これも歩いてみたいかも。
東海道の主要な脇往還は
・中原街道(江戸と相模をつなぐ)

・下田街道(三嶋大社から天城峠を超えて下田まで いわゆる天城越え)
・本坂通(浜名湖の北側 見付宿から御油宿をつなぐ陸路)
・美濃路(東海道の宮宿と中山道の垂井宿まで)
・佐屋街道(宮宿から桑名宿の陸路)
・矢倉沢往還(赤坂見附から足柄峠を越えて沼津まで 大山道)
中原街道は、昔、元住吉に住んでいたから馴染みの道。
そして、google mapを見てたら、旧中原街道もマッピングされてた。
当時は旧東海道ですら無かったのに、きっと需要がある程度あるんだろうなぁ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?