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29年目の『防災とボランティアの日』

おはようございます。
5:46を過ぎました。
今日は1月17日。
1995年に、阪神大震災が発生した日です。

もう29年も経ちました。
被災に遭われた方やご家族の方などには、そこから時計が止まったような暮らしを過ごされている方も多いかもしれません。

お亡くなりになられた方や、その後に大変な想いをされてきた方々に思いを馳せます。


昨年も一昨年も、今日は、この話題で記事を書いています。

<1年前の”今日”の記事★>

<2年前の”今日”の記事★>


今年は、一層、この日に向かう気持ちが違うことを感じます。


大きく3点について、まとめて書いてみたいと思います。


①時間が過ぎ、記憶が薄れていってしまう

阪神大震災が起きたのは、ぼくが小学生の頃でした。
学校に行く前に、テレビから流れるニュースの映像に釘付けになりました。

映画やヒーローものの特撮のようなシーンに、とんでもないことが起きたと、子ども心に感じました。

その後の復旧・復興。
「がんばろう神戸」のスローガンのもと、オリックスの躍進などを野球少年は見ていました。

阪神大震災は、ぼくにとっては強烈なインパクトでした。

当時は、レスキューやボランティアなど、これっぽっちも思っていませんでしたが、ぼくの人生のなかでのひとつの印象として、記憶に刻まれています。

そんなぼくも今年で40歳。
息子・娘たちが同じような年齢になりました。

あの、突然の大地震から、29年が経ちました。

ということは、30歳以下の方は、経験すらありません。
もっと言うと、ぼくよりも年下、30代ぐらいの方は、記憶に無い人ばかりでしょう。

時代が過ぎて行くということは、
ぼくたちのようにリアルタイムに感じている人の記憶が薄れていくばかりでなく、
こうして、次の世代には、全く知らない人が増えていくということです。

子ども達を対象とした防災啓発活動をしています。
阪神大震災のことを言っても、戦国時代の歴史のページと同じような感覚で聞いていると思います。
小学生にとっては、東日本大震災や熊本地震すら、同じような感じです。

もっと言えば、小学生の保護者世代も、阪神大震災を知らない人がほとんどだということです。

月日が流れていくというのは、そういうことなんだろうと感じます。
来年で30年を迎えます。



②直下型の地震

阪神大震災は、突然にして足元の断層が動いた直下型の地震でした。

強い地震に見舞われた地域が、都市部も含んでおり、その被害は甚大なものでした。

地震のメカニズムは、往々にして理解されていました。
しかしながら、首都直下や南海トラフなどの『海溝型』の地震が主たるテーマだったと思います。

まさかの、
突然、足元が裂けるような地震で、
大きな被害に遭います。

いま、能登で起きている震災も、少しメカニズムが違うそうですが、同じように、足元の直下型の地震です。
熊本地震もそうでした。

狭い範囲ではあるんだけど、甚大な被害が生じます。
また、場所によって全然被害が違うということです。

熊本地震の支援に行ったときも感じました。
この世のものとは思えないほどの、とんでもない被害を受けた街並みもありました。
でも、少し移動すると、ほぼ日常があったり。

直下型の地震の恐ろしさを感じます。

日本全国には、ひび割れのように、多くの断層が確認されています。
一度ひびの入ったところは改めて割れやすいのは言うまでもありません。

『北九州は災害の少ない街』と安易に啓発している声も聞きますが、そんなことはありません。

先日の「週刊現代」では全国でたった数か所を名指しで、「次に地震が起きる地域」として『北九州』と書かれました。


これを見て、
「とんでもないことを書きやがって!」とは思いません。

言わずもがな、北九州を含めて、どの地域でも、このような直下型の地震はあり得るのです。

この記事をよく見ると、「最近、地震が起きていないから」というピックアップのされ方ですね。
①の話題と同様に、被害に遭った記憶は薄れていきます。
北九州で地震に見舞われた人は、ご存命の方には1人もいないでしょう。

でも、地形は物語っています。
北九州にも、明確に断層はあります。

強いメカニズムで押し込まれたら、どこかが裂けます。
全国津々浦々の断層のどこかで地震が起こってしまいます。

こんなこと言うと、関東や太平洋沿いの方々には大変申し訳ございませんが、ぼくが生きている間に、首都直下や南海トラフ地震は起きるでしょう。
海溝型の地震は、周期性がほぼほぼ解明されています。
30年以内に70~80%と言われはじめて、もう10年以上が経ちます。

備えは必然だと思います。

まさかではなく、いつか。

北九州でも、
今日かもしれないし、
今年かもしれないし、
来年かもしれないし、
10年後かもしれないし、
100年後かもしれないし、
1000年後かもしれないけど、
いつか必ず地震はあります。そんなメカニズムです。

地球の息吹に比べれば、ぼくたちのたった数十年の短い人生だけど、その間にもし発生してしまったら被害を受けないよう、備えを。

それでいて、本当に『災害にも強い街』になっていけるよう、今後とも取組んでいきたいと思っています。



③想定を超える想定を

能登地震において、東日本大震災や阪神大震災の教訓が活かされていないとの、防災の専門家の方の声が記事になっているのを拝見しました。

結果論的に、いろいろと言うのは簡単だけど、みんな必死でやっています。
単純に批判はできないと思います。

もちろん、それを分かったうえで声に出されていることと思います。
逆に、その覚悟に感銘を受けました。

その主題には、『被害想定の把握』ということなのかなと思います。

突然の大災害に、誰しもが、目の前のことしか把握できません。

『被害の全容』なんて、なかなか分からないものです。

情報というのは、ひとつひとつ積み上がっていきます。
そして段々と姿カタチが見えていきます。

被害を小さく見積もって初期対応したという懸念があります。

『分からない』ことは、『ヒドイ』と同義語だと認識しなければなりません。

ぼくも含めて、ほとんどの人は、正月に発生したこの災害で、段々と流れてくるニュースに、
「えっ!?」
「えっ!!」
「え・・・・」
って、どんどんと、自分が想像していた以上に被害が甚大であることを感じたんじゃないかと思います。

人間誰しもが、「無事であってほしい」という本能的な願いをもっていますので、ついつい小さく見積もってしまいます。
ぼくもニュースを見ていてそう感じました。
自分の甘さも感じました。

これが人間の心に潜む課題でもあります。

後から、大袈裟だったと言われても良いから、もしかしたら、想定以上にヒドイのかもしれないと、戒める心をもっておかないと思います。

今回の災害や、後の評論から、それを学んだ気がします。


阪神大震災から29年。
また、次の災害も起きてしまいました。

きっとまた、残念ながら、次の災害も起きてしまうんだろうと思います。

日本は自然豊かだからこそ、
自然との共存のひとつで災害が起きてしまいます。

教訓に学び、
自分たちの命や暮らしを守っていける、自分たちでありたいと思います。



今日もご覧いただきありがとうございます。


冒頭の写真は、Global Agenda|noteさんの作品を使用させていただいています。ありがとうございます。







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