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8月21日(金) ~シュンのひみつ日記

 人生最悪の日だ!
 朝までせっかく雨がパラパラ降ってたのに、昼前にはやんでしまった。遠泳大会、決行。くそ! さかさてるてる坊主の数が足りんかったか!

 ぼくが「後で行くけん」と言うと、父ちゃんも母ちゃんも先に浜へ下りていった。もういよいよ逃げられない。どうしよう。去年みたいに腹痛になるか。冷ぞう庫にくさった食べ物とかないかな。

 そんなことをえんがわで考えてたら、蓮姉が来てとなりに座ってきた。
「何や?」
「ユイちゃんのこと」
「またや。もういいって」
 蓮姉のせいで、ぼくはこないだバカをみた。
「次のフェリーで島ば出るって」
 やっぱりか。でももう関係ない。
「別にどうでもよか。どうせ元の家に住むっちゃろ」
 そしたら蓮姉が、庭にぴょんと飛び降りて、ぼくの前に立った。
「ホント、シュンはなんも分かっとらんね」
「は?」
 何で怒ってるんだ。怒りたいのはぼくだ。りふじんだ。
「ユイちゃんのお母さん、りこんはせんってよ。家族三人でいっしょに暮らすって」
「それが何や?」
「けど、お父さんは日本には住めん! 意味分かる?」
「え……?」
 もしかして、家族でブラジルに引っ越すってこと? ウソだ。ユイの母ちゃんはユイを選ぶんだと思ってた。まさか、どっちも選ぶなんて。
「あんたホント、自分のことばっかり。ユイちゃんだってつらいとよ。ちゃんとお別れしてき!」
 蓮姉に背中をバーンとたたかれた。気が付いたら、ぼくは走り出していた。このまま一生お別れなんて、ぜったいにいやだ。ユイに会いたい!

 走りながら、さっき言われたことを考えた。母ちゃんにも同じことを言われた。タケちゃんにも。「お前はいっつも自分自分」って。
 何であのとき、分かってあげられなかったんだろう。ユイがどんな気持ちで「もうシュンとは会わん」って言ったのか。「好きでも嫌いでもいい、ただ忘れんで」って。そういうことだったんだ。ぼくはバカだ。

 全力で坂道をかけ下りて、浜ぞいの道を走った。フェリー乗り場が見えてきた。そしたら、浜から声がした。
「おい、シュン!」
 学校のみんなと先生たちだった。みんな水着だ。そうだった、遠泳大会がまさに始まるところだった。父ちゃんも母ちゃんも、他の親もいる。
 フェリーの汽笛の音がした。それどころじゃない! ユイに会いたい。

 フェリーはもう出航していた。ぼくは走りながら、大声でさけんだ。
「ユイーっ!」
 しばらくして、小さく声がした。
「シューン」
 フェリーのさくのところに、ユイが見えた。最初に会ったときみたいに、麦わら帽子をかぶってた。ユイは体を乗り出して、ぼくの名前を呼んでいるみたいだった。

 でも、もう遅い。次の便は一時間後だ。一時間も向こうでユイが待ってるとはかぎらない。いや、そういうことじゃない。今、ユイに会わなきゃ、ぼくがダメなんだ。
「ユイーっ!」
 ふとうの突き当たりまで走った。その先は海だ。もう何も考えてなかった。そのまま海に飛び込んだ。

 耳がキーンとして、何も見えない。あたりまえだけど、足は届かない。必死で水をかいたけど、ぜんぜん浮き上がらない。服がおもりみたいに重くて、体がしずんでいく。もう息がつづかない。ここでぼく、死ぬのかな。

 気が付いたら、くもり空が広がっていた。浜に寝かされているのが分かった。
「シュン! 良かった、目ぇさめたばい!」
 父ちゃんが、ぼくをのぞき込んでいた。母ちゃんも泣きそうな顔で横にいた。父ちゃんはびしょぬれだった。たぶん、泳いでぼくを助けてくれたんだろう。

 体を起こすと、周りにみんながいた。タケちゃんも、ノブも。みんながぼくをかわいそうな顔で見ている。
 とうとう、ばれてしまった。
 今までずっと隠してきたひみつ。島に住んでるくせに、漁師の息子のくせに、泳げないなんて、笑いものだ。きっとみんな笑いをこらえてるんだ。
 きのうテレビで言ってた言葉を思い出した。
「逃げつづけても、ぜったいどこかでつけを払わないといけなくなる。それも、一番ひどいかたちで」
 つけ、ってこういうことか。最悪だ。もうはずかしくて、ぼくはどなった。
「見んな! あっち行けバカ!」

 それでも誰も動かないので、ぼくがここからいなくなろうと思った。けど、何歩か歩いただけで足がガクガクして、浜にはいつくばってしまった。無敵のはずの、このぼくが!
 遠くにフェリーが見えた。ユイが乗ってるフェリーが。

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 海の向こうが、こんなに遠く感じたのは初めてだった。フェリーでたったの十分なのに。
 ぼくは、ユイにお別れを言うこともできなかった。泳げないくせに飛び込んで、みんなにばれてしまった。くやしくて頭がカーッとなって、そしたら涙が止まらなくなった。こないだ母ちゃんの前で泣いたのとは、違う涙だった。くやしくても涙って出るんだな。

 今ごろになって雨が降ってきた。もう涙か雨か分からん。
 今年の遠泳大会は、中止になった。

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明日のにっき

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