序; 人間生活遺構

「人間生活遺構」とは、建築の在りようを考える一つの見方としての語彙である。日本の集落や街並みのデザインサーベイが20世紀後半に大学の研究室等を中心に行われ、建築デザイン誌に紹介された。それらの資料は、近代合理主義に基づく住空間のデザインに「間」や「媒介空間」、「共空間」など幅と膨らみを与えた。しかし、時間の経過とともに、対象にされた農村、漁村、街道などの様々な様態の集落自体が経済的な意向の元に根こそぎに消失する事態が一方で起こった。

「歴史的建築遺構」という価値づけのない建築の集積は、経済的価値の指針に抗する論理を持たず、その存在性を捨象されたといえる。この事態を受けるように重伝建制度が生まれて救われている事例もあるが、日々の生きられた生活というよりも、観光資源の価値に縋ろうとする身振りを感得してしまう。

一方で、「ありふれている」という生活が「生き生きと」活して、時代を生き続ける街並みや家々に出会うことも少なくはない。人々が生活を営む家々、街並みを持続させるべく、改めて見直すことができる概念を考える必要を感じる。

住宅にしろ、諸施設にしろ、人間生活に「生きられてある存在者」 である「建築」なるものを、存在という地平で捉えるとき、さまざまな評価・価値の付着物を取り除いて普遍するものは、人とともにあって、生きられてそこに在り続ける「在り方」だろう。そこに「建築」という存在が、私たち、人とともにありうるのだろう。

そして世界における建築は、常に物質的在りようとして存在する様態、人間の身体性に関連して時間とともに変質、劣化するという様態、つまり遺構化の過程に在るのである。

そのうえで、人とともに「生き生きと」活する様態によって、「建築」なるものは生きられうる、あるいは持続しうる様態を保持しつつ、時間を貫いて遺構化の過程を「生ききる」と考える。

時間、歴史を重ねて来た街並み、家並みが私たちに与える心の動きは、そこにあり続ける様態を貫く、存在の本質的な構造を目指されているといえる。

正に「人間生活遺構」という語彙・概念の必要性の時代に入ったと考える。

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