空き家PJとこれからの萩  1, 都市の魅力、そして「人間生活遺構」という視点

(2019年07月05日 於いて 萩市役所第一会議室)

1, 都市の魅力、そして人間生活遺構という視点

日本有数の歴史都市・萩には数多くの名所旧跡、街並み、歴史的な建築遺構が数多く残っております。重伝建地区も1976年制度当初に堀内、平安古、今世紀はじめに浜崎、佐々並市と4つを数えています。

私たち建築デザインに携わるものは、20世紀後半になりましょう、多くの歴史都市、漁村、農村集落、宿場町をデザインサーベイという方法を通して調査し、図面等の記録を残し、そこで得られた知見から、戦後の日本の近代住宅の流れに合理性をこえて、人々が集まって住む上での共空間、媒介空間、間というような概念を発見して、近代住宅にふくらみをもたせながら、大きく住空間の豊かさに寄与することができました。

しかし間を置いて調査した場所に行ってみれば、大きく様変わりした様相、また街の一角が根こそぎに無くなっているという経験をしました。歴史に名を刻む建築という「歴史遺構」の価値を有しない建築群、住宅、街並みが高度経済成長の開発の名の下における資本の論理に抗う論理を持たずに、消失または変質を余儀なくさせられる事態が生じた結果です。

そこで生まれたのが「伝統的建築群保存地区」、また「重要伝統的建築群保存地区」制度でありました。これが意味するところは、重伝建地区というよりも、日々の人々の生活が行われている街、街並み、家並み自身が消失していく事態をどのようにして、各々の街が地域を守り、これまでの人と家と街並みを生き生きと残していけるのかということを、今こそ考えなければならないと示しているのだと思います。私は日本建築学会の小委員会で作業中でもある建築論事典の一項目としてそれを「人間生活遺構」論として提案しております。

歴史都市においても象徴的な場所を今後も継承していくこと、また改めて発見することは至極当然としても、インバウンドの時代である今世紀は、象徴的場所を成り立たせている背景として、普通の人々が日々暮らす普段の生活としての家並み、街並みを生き生きと展開させることこそ問われなければならないと思います。

日本を訪れ、萩を訪れる諸外国の人々にとって名所旧跡とともに、市民の暮らしの舞台である毛利の藩政の道割りが残る日々の街並み、家並みを歩き回ることの経験は大きな豊かさを添えるものとなりましょう。

つまり、「人間生活遺構」の視点から街の活性化を見ていく必要が到来していると思います。

諸外国の事例を次に見て見たいと思います。

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