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全集中できる場所

映画館はコロナによって大きく振り回されているモノの一つだ。
密閉されたイメージが強く、営業自粛期間以降も客足がしばらく遠のいていた。
ところがこの冬「鬼滅の刃 無限列車編」の記録的な大ヒットが起こり、このお祭りは今も続いている。お陰で映画館は活気を取り戻してきている。
これは作品自体の人気だけでなく、我慢してた娯楽欲がいま全集中でぶつけられている現象なのかもしれない。全集中って言いたい病。

コロナ禍で私たちの意識は大きく変わってきている。
押し潰されながら長時間通勤をするのはやっぱり嫌だったんだと気づいた。紙に印刷してハンコついて提出しないとダメなわけでもないと気づいた。

映画館も「そこに行って観ないといけないモノ」というのは幻想だったんだ、と言われ始めている。
Netflixなどのストリーミングサービスで販売すれば、密にならないし、いつでも観れるし、移動が要らない。
2020年4月〜6月でNetflix会員は1000万人増えたという。7月〜9月も220万人増との事で自粛解除後も使われ続けているのは確かだろう。
その裏で、松竹・東宝は8月の中間決算で売上が前年同期比60%、48%と大きく減少している。
私は映画館という場所が好きだ。なのでこの状況は歯がゆい、切ない、悲しい。

20年前からインターネット界で仕事をしてきて、スマホ(当時はガラケー)への通知は一日中きている生活が当たり前。
通知やメールの未読は常に数百件あり、モバイルバッテリーは必ず持参している。
自分の周りで起きてることは全て通知されてて、それをどこまで見るかどうか、という感覚だ。

こんな私にとって映画館は異空間
スマホの電源を切れと言われる場所なんてそうそうない。自分の意思で通知から解き放たれる場所が映画館なんだ。
電源を落として生活するなら今すぐにでもできるが、代わりに映画に没頭する楽しみが大きく違う。

映画館のあの構造はすごくいい。
単館上映の小さな映画館も大好きだけども、没入感の演出においてはなるべく大きな映画館がいい。
ロビーに行くと映画を迷う人、食べ物飲み物を選ぶ人、これから観る映画を語り合う人などが、普段とは違う赤絨毯の上でザワザワしている。
チケットを係の人に見せてシアターへ向かう道は、映画の世界への滑走路のようだ。そんな心の準備を掻き立てる。

扉を開けてシアターに入るが、まだスクリーンは見えない。
大抵は階段を上っていくとドーンと開けた空間に出る。スクリーンが鎮座していてその向かいには大量の座席。
既に着席している人たちから一斉に見られているような気がして、恥ずかしくなり自分の席に早く行きたい。着席したらこっちのもん。荷物を整理してスマホの電源を切って全集中だ。言いたい病。

映画の2時間の間は作品のことしか考えない。

この間に通知は来ないし電話も鳴らないしAmazonも届かないし誰かに話しかけられる事もない。
全集中できる喜びを噛み締めている場面だ。


何かに没頭できる場所の価値が上がってきている。

それくらいに世の中は邪魔が多い。
音楽聴きながら歩くし、スマホいじりながら周りと話すし、そのスマホにはSNSの通知が来るしで、一つのことに集中している時間は本当に短い。

家を出て、映画館に入ってから始まるまでの時間でじわじわと自分の集中を高めていって、遂に映画に没頭する、という時間と場所は今のところ代替がない。

呼吸を訓練して24時間の全集中常中を体得するまでは、無くなっては困る場所なんだ。

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