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日本で1番有名なアイルランド人 小泉八雲

アイルランド出身の著名人といえば、U2のボノやエンヤ、最近ではゴルファーのローリー・マキロイや格闘家のコナー・マクレガーが思い浮かびます。しかし、日本で一番有名なアイルランド人と言えばラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)!!

「誰、知らないよ…?」と思われた方も、彼の日本名、小泉八雲(こいずみ やくも)ならご存知でしょう。『耳なし芳一』や『怪談』などの作品で広く知られる作家は、ギリシャ系アイルランド人だったのです。

2025年には、彼の作家活動を支えた妻である小泉セツに焦点を当てたNHK朝ドラが始まるそうです。
小泉八雲の子孫がアイルランドに住んでいたり、アイルランドと日本の共同展覧会企画「怪談」も開催されたりと、アイルランドでも密かに盛り上がりを見せています。

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そんな小泉八雲の魅力とは何でしょう?
一言で言えば、異文化理解に努めたその姿勢と、文化融合を可能にしたその表現力です。西欧の読者に対して、日本の民話や伝統の美しさや神秘を鮮やかに伝えた作家なのです。


アイルランドでの幼少時代と日本での生活

ハーンは1850年にギリシャのレフカダ島で生まれ、アイルランドで育ちました。母親がギリシャ人、父親がアイルランド人であったため、彼の文化的背景は非常に多様。さらに彼の幼少期は不安定で、両親の離婚後は、アイルランドの祖母に育てられました。
この祖母はハーンにとって重要な存在で、彼女の語るケルトの神話や伝説がハーンの想像力を豊かにし、後の執筆活動に大きな影響を与えたと言われています。

アイルランドの文化は、彼の作品における怪談や幻想的な要素の源泉となり、アイルランドの民話や伝説、そしてその中に潜む不思議な世界観は、ハーンが日本の怪談や民話に惹かれるきっかけとなったのです。

彼は、ジャーナリストとしてアメリカに渡った後、1890年に日本に移住。松江にて英語教師として働きながら、日本の文化や民話を研究し、数々の著作を発表しました。
松江での生活を始めたハーンは、日本文化に対する深い興味を持ち、地元の人々と積極的に交流を始めました。その生活の中で、ハーンは小泉セツと出会います。セツは地元の士族の家に生まれ、伝統的な日本文化に精通したのです。彼女の姓の小泉をもらい、小泉八雲という日本名も得ることになります。

作品と八雲自身のすごみ

ハーンの作品は、日本の民話や伝統を西洋の読者に向けて紹介するもので、詳細な描写と共感を呼ぶ語り口が特徴。作品内では「西欧人には分かりづらい」とか「日本人ならではの感覚」といった表現も登場し、日本の文化の特殊さへの驚嘆が見て取れます。

彼の代表作には、日本の古くから伝わる怖い話や不気味な話を紹介した『怪談』があります。彼はアイルランドの妖精や精霊物語を聞いて育ったため、日本の妖怪や幽霊、生霊や動物の魂などが登場する物語に共感し、強く惹かれていたようです。

個人的には、最近のフィクション小説の怖さはインフレ状態にあると感じていて、彼の物語は怪談話としてはそれほど怖くもなく、どこか不条理なものもあり、少しもの足りなくさえ感じます。

しかし私が本当に魅了されるのは、彼が日本人の奥さんセツや他の日本人から聞いた話を元に、日本文化に心を惹かれていき、その異文化体験を丹念に書き記し、さらに自分の体験や文化との融合を文学作品として表現したプロセスにあります。

セツとの出会いと支え

セツは、ハーンに日本の伝統や風習、民間伝承について多くのことを教えました。彼女から聞いた話や見聞きした事柄は、ハーンの作品に大きな影響を与えました。セツは単にハーンの妻であるだけでなく、彼の生活と文学活動を支える重要なパートナーでした。彼女の支えがあったからこそ、ハーンは日本での生活を楽しみ、豊かな創作活動を続けることができたのです。

二人は互いに新しい知識を与え合い、刺激し合う関係でした。セツは日本の伝統と文化をハーンに教え、ハーンはその知識を元に西洋の読者に向けて日本の物語を再構築しました。この相互作用により、ハーンの作品は独特の深みと視点を持つものとなりました。

夫の芸術活動を支える妻として、とても有名なのが画家サルバドール・ダリの妻ガラです。ガラはダリの芸術活動において重要なミューズであり、彼の作品に多大なインスピレーションを与えました。

ガラの美しさがダリの創作活動にインスピレーションを与えたように、セツも八雲に多くを与えました。それは知的で豊かな洞察力に満ちた文学的なインスピレーション。

「この村には、狐に化かされたという話が多く残っているんですよ」としっとりとした声で昔話を話す姿、夜の静寂の中でろうそくを灯しながら針仕事をしている姿、風鈴が静かに鳴る中でのんびりと話す二人の様子、これらはすべてハーンにとって創作の材料となり、素晴らしい異文化交流の瞬間でした。

異国の地にあるパートナーが現地に溶け込むようにサポートし、さらに現地の魅力を母国に発信しようとする彼の創作活動にまで影響を与えた人だったのです。

どのように作品を描いたか?

ハーンは、日本の民話や伝承を聞き取り、英語で再構築することで、これらの物語を海外に紹介しました。彼の作品は、日本の風景や文化を詳細に描写し、読者に生き生きとした情景を提供します。また、異文化の理解を深めるためにその背景や文化的文脈も詳述しました。彼の作品は、日本文化の豊かさや独自性を西洋の読者に伝えるためのものでした。

そんなハーン、小泉八雲の生き方に、私は大いに感銘を受けました。私も異国の地に住んでいる身ではありますが、本の虫の私は、何かある時にすぐに本に頼り、本から情報を得ようとする傾向があります。
しかし、地元の人、現在を生きている人の視点を通じた生の情報や伝承がどれだけ魅力的であるか、異文化交流の本当の意味を、小泉八雲とセツは教えてくれます。

八雲の異文化交流を見習って、私もこのブログ執筆中に、周りのアイルランド人に彼のことを聞いてみました。
意外にもアイルランドでは、ラフカディオ・ハーンはそこまで有名ではありません。あれ、予想と違う…

日本人にとっては、日本伝承を他国に伝えた作家として有名な作家でも、逆方向の外国側から見れば、世界にあるただ一カ国を紹介している作家の1人に過ぎないのですよね。
日本がアジアの極東にある小国である事を実感する出来事でした。(まあ、日本が好きなアイルランド人は必ず知っていますけどね。)

もう一つ、アイルランド人の目から見たアイルランドの文化や観光地の魅力を紹介したいので、現在執筆中の書籍「アイルランドの12ヶ月(詳細は後述)」には、2人のアイルランド人のコラムが含まれる予定です。

まとめ

ラフカディオ・ハーン、またの名を小泉八雲は、日本とアイルランドの文化をつなぐ架け橋となった人物です。彼の作品は、日本の美と神秘を海外に伝える重要な役割を果たしました。彼の人生と作品を通じて、異文化理解の深さと魅力を改めて感じることができます。

小泉八雲の人生は、異なる文化がいかにして融合し、豊かな創造力を生み出すかを示す素晴らしい例です。アイルランドの影響と、日本の妻・小泉セツから受けた影響を通じて、八雲は日本文化の魅力を西洋に伝え、多くの人々に感動を与えました。彼の作品を通じて、私たちもまた、日本と西洋の間に存在する美しい文化の融合を感じることができます。

この記事を読んで、小泉八雲や彼の妻セツ、そして彼らの素晴らしい物語に興味を持っていただけたなら、ぜひ彼の作品に触れてみてください。


このコラムは、海外在住日本人が綴るマガジンVACILANDOが出版する世界の12か月シリーズアイルランド版、「アイルランドの12月」に掲載予定のコラムです。今夏には出版予定ですので、応援よろしくお願いします!



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