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#560 テストの不正行為に関する個人的考察

 大阪市にある清風高校に通っていた男子生徒は2021年12月、期末試験のテストでカンニングが発覚し、教師数人から“カンニングは卑怯者がすること”などと言わされ自宅謹慎や、80巻の写経などを命じられたということです。男子生徒は指導の2日後に自殺し、遺書には「卑怯者と思われながら生きていくほうが怖くなってきました」と書かれていました。当時高校2年の男子生徒が自殺したのは、テストでカンニングをしたことをめぐり、教師らが不適切な指導をしたからだとして、両親が学校に対し賠償を求めた裁判が始まり、学校側は、「指導に立ち会った教師から『卑怯者』と言わせた証言は得られていない」などと争う姿勢を示しました。

 現実問題として、学校で定期考査などにおける不正行為はしばしば起こる問題です。そもそもなぜカンニングは起こるのか。それは、学業成績による外的要因によって、生徒に多くの利益・不利益が生じるからです。それは教員や保護者からの評価や進路などにとどまらず、同級生との関係性などなど多岐にわたる。今回の場合であるなら、清風高校は大阪でも有名な中高一貫の進学校。学業成績が彼の中で非常に重要な要素であったことは想像に難くないでしょう。

 カンニングに対する問題は、成績という価値が肥大化し、それによって様々なプレッシャーを感じることによって起こるということ。一般論で言えば、中学受験から始まる激しい競争の中で、自我が十分に発達する前から勝ち負けを意識しなければならない環境で育つと、「学業」という基準を持って誰かと常に比較し比較されていきます。そんな環境しか知らない中で成長すれば、それが自分を定義する価値の全てであると信じ込んでしまい、逃げ場を失うのです。それは学校だけでく、家庭や塾の価値観によって形成されることも多々あることを忘れはいけません。

 別の問題としては、もしカンニングを児童・生徒がした場合、教員や学校がどう対応するべきであるかということ。不正行為はよくないことですが、そこに重い罰を与えたとしても根本的な解決にはなりません。世界は「学業」という基準のみで成立しているわけではないという理念の元、彼らの行為の原因を探す支援と、その行為は決して自分のためにはならないということを伝える必要があると個人的には考えています。
 
 今回の事案は、生徒が自殺してしまっている以上、裁判でいかなる判決が出ようとも最悪な結果となってしまっています。教育とは、世界が自分の想像する何倍も広いことを感じる支援をすることです。

 なぜ、たかだか「カンニング」ごときで一人の命が失われてしまうのか。
 

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