#460 「記号」の奴隷になる私たち
「記号」とは、私たちが他者がどのような人かを知る時に役立つ年齢や性別、人種、国籍、学歴、職業、資格、容姿などの便利な手がかりのこと。
記号は私たち人間に社会的意味と資本的価値を与え、だからこそ私たちはわかりやすい「記号」を追い求めていきます。
ルッキズム(人の外見を特に重視して物事を判断する傾向として外見至上主義の意味)という言葉を最近よく聞くようになりました。これは、外見という最もわかりやすい「記号」によって、人間としての価値が決められてしまうことへの危機感の現れです。アメリカでは「ルックスマックス(=自分の外見を最大限に高めようとする現象)」という言葉も出現しているそうで、以下の記事では、そのような美醜の価値観が強くなりすぎることへの危険性を述べています。
本質的には「人は記号のみで生きるのではない」し、それは私たちという人間のほんの一部の要素にしか過ぎません。時に私たちは、記号が持つパワーに支配され、奴隷化していくこともあります。
私が「記号」という言葉を使うのは、本来の私たちの価値はそんなもので定義されるほど脆弱なものではないという信念、だけども自分が時に無意識的に記号に支配されることを教えてくれるリマインダー、そして世界が「記号」に支配されることへの警鐘なのです。
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