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#603 文字化することで可視化する「怒り」の本質

 2003年〜2006年に『週刊少年ジャンプ』に連載された漫画『DEATH NOTE』は、名前を書いた人間を死なせることができるという死神のノート「デスノート」を巡る「サイコ・サスペンス」です。

 「ノートに名前を書くことで人を殺すことができる」という設定は、その非常にシンプルながら、だからこそ人々に何かしらの感情を抱かせる漫画だったと言えるでしょう。

 人は時に自分の心の中の感情を文字化することがあるでしょう。日記などもその一つなのかもしれません。母親は祖父の遺品を整理している際、彼が人知れずつけていた日記を発見しました。その内容は、なかなか人間らしいものだったようで、それこそまさに「デスノート」だった可能性もあるのです。彼にとっては、文字化することで、自分の負の感情を消化していたのかも知れません。

 『なぜ悪口をノートに書き込むと幸せになれるのか?悪口ノートの考案者が語る、悪口の裏に潜む本当の自分』という記事を見つけました。

  『ずるいくらいいいことが起こる「悪口ノート」の魔法』(青春出版社)を上梓したメンタルコーチの石川清美氏は、悪口を自己分析を通じて、自分の怒りや敵意の本質が見え、その根本的解決に繋がると述べています。

 悪口を分解してたどり着く自分の設定を、より自分がこうありたいと思う内容に書き変えると、心が軽くなり、目の前の問題や課題に対する解決法やアイデアが浮かんでくる。ですから、悪口は幸せへの入り口。悪口ノートは自分を導いてくれるテクニックと言えます。

 思えば私のパートナーは私にしばしば2つの事柄を伝えてきます。それは「怒りの矛先を間違えないこと」と「仮想敵を作らないこと」です。石川氏が記事の中で述べている内容は、その2つに合致していると言えます。自分の「悪口」を通じて自分の怒りを正直に出力し、その本音をしっかり分析する。自分が本当に求めているものは何なのか、自分が何に本当に怒っているのか、それらをじっくり見つけることで、自分の心のありように気付くことができるのです。

 私は、そうした本人の思い込みを「ガセネタ」と呼んでいます。ちょっとした相手の一言や表情を、勝手にネガティブに受け取り、そうした誤った印象から相手に対するおかしな妄想を膨らませて、「あの人はこういう人だ」と決めつける。そんな思い込みに対応して人は生活している。ところが、そこで「本当に相手はそういう意味で言っていたの?」と質問すると、確信がないことに気づきます。次第に、ご本人も「これは私のガセネタです」と認めていく。(中略)かなりの割合で、人は勘違いで怒っています。

 悪口というのは、得てして不徳な行為であると教育上教えられます。しかしながら、人間は決して完璧な存在ではありませんし、誰かに対して腹が立つこともあります。それを無理矢理押さえつけたとしても、そこには負の感情が蓄積されるだけになるでしょう。逆に適切な形で、その感情を表現することで、その解決に繋がります。自分を俯瞰で見ることができれば、自分が抱える怒りの正体が明確になり、それへの対処法を見つけやすくもなる。怒りの矛先を間違えることも、仮想敵を作ることも徐々に減っていくのです。

 そんな私は今日も、誰かの悪口をパートナーにずっと聞いてもらってます。


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