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#506 教育業務の本質を見極める力

 教員の働き方改革を考える上で、「部活動の顧問」の問題は必ずと言っていいほど話題になるでしょう。

 戦後の学校教育の歴史の中で、部活動は大切な教育活動と考えられてきました。それは、例えば不良がスポーツを通じて改心していくストーリーや、部活動がプロスポーツの予備門化し、そこに資本主義的要素などによって、強化されてきた。ここで私たちが考えなければならないのは、学校という場がどのような機会を補償するべきかということと、教員の役割とは何なのかということ。

 そもそも部活動は児童・生徒の自主的な活動であり、ある意味ボランティアです。ただ、部活動が生徒にとって意義ある活動であることもまた事実です。もし学校側がその機会を与えたいと思うなら、そこは教員にとってPassion Pay(やりがい搾取)にならず、適切な手当、協力体制、そして地域移行の制度を整えなければなりません。

 以前の勤務先で野球部の顧問をしていた先生に、部活動に関する私見を聞いたことがあります。彼は、最初は野球を教えるために教員になったが、部活を教えるためだけに教員になることは今となっては非常に浅はかで危険な考え方だと語っていました。

 私の母校は大学進学に重点を置いたクラスとクラブ活動に重点を置いたクラスが存在する高校でした。部活動を教えるために教員になった人も、もちろん教科・科目を教えることになります。すると、前者のクラスを教える際の授業準備が非常に大変になるという問題が出てきたりします。

 先の選抜高校野球においても、出場している多くの学校は私立であり、部活動を1つの大きな業務として捉え、適切な手当などが支給されていると言えるでしょう。一方、公立学校ではなかなかそのような形は難しい。それは学校という場ではなく、いずれクラブチームという形で学校から切り離されることも十分に考えられるのです。

 部活をしたいから教員になるというのは、いずれ時代に取り残される概念なのだと個人的には考えています。

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