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#362 「留年」が持つネガディヴさこそが「個別最適化学習」への障壁

 個別最適化学習。一人ひとりの学びの段階に合わせて、オーダーメイドな学習プランを作っていくことが今の教育業界のキーワードの1つとなっています。

 日本の学校では「飛び級」という制度はほとんどなく、また「留年」というとネガティブな印象を受ける。しかし、個別最適化学習の観点で考えれば、飛び級や留年は理にかなった制度。特に「留年」に対するネガティブな印象をなんとか払拭したいと、個人的には思っている。

『なぜ「無気力な生徒」が増えたのか…“低偏差値高校”から見える日本の教育の「大きな問題点」』という記事を見つけました。

記事の中で、法政大学キャリアデザイン学部教授の児美川孝一郎氏は小・中の「学びの差」が高校以降の学力格差に大きく関係していると指摘しています。

 「基本的に義務教育は、自動的に学年が上がっていくため、留年の心配がない反面、どこかの単元でつまづくと学習内容が定着されないまま進級してしまうというデメリットがあります。つまりその学年時点で獲得しておくべき内容が身に着いていないので、進級、進学しても次の学習内容が理解できないということがよく起こるのです。
 そうなると、学ぶことで得られる成功体験も乏しいものとなり、“きっとうまくいく”“自分ならやれるはず”と考え行動できる自己認識能力である『自己効力感』が醸成されません。結果、勉強への興味も薄くなり、知的好奇心が芽生えない子どもに育ってしまうのだと考えられます」

 現行の日本の教育システムは、未だ多様性が少ない。偏差値を基準にしたピラミッド型の構造の中で序列が固定化し、一度ピラミッドの下層に位置してしまうと、生徒の「心」(自己肯定感や自己有効感)に大きな影響を及ぼします。そんな中、やはり学びの初期段階でいかに児童・生徒の学びの質を担保するかが鍵であると、児美川氏は述べています。

 「取り組まなくてはいけないのは、高校そのものの改革もありますが、まずは小中学校のほうでしょう。小中学校時代の教育を抜本的に変えていき、わからない分野を最低限理解できるまで丁寧に教えるという取り組みが必要です。(中略)そして何より、生徒一人ひとりに学ぶことの意味や社会的意義を実感してもらうことが肝要になります。せっかく制度を整えても、根幹となる学びの面白さを感じてもらえなければ、教育の意味はありません。少しでも多くの子どもたちが学びを面白いと感じ取ってほしいと願います」

 大きな集団の中で、決められたスピードに合わせることは、実は非常に難しい。それは学習だけではないし、子どもだけではなく大人もそう感じているのです。だからこそ、一人ひとりの学びのスピードが異なり、その段階に合わせて自分のペースで進めば良いのだという感覚を小学校から学ぶことが大切。集団のスピードに追いつけないことがネガティブな形として出力された「留年」という言葉をイメージを払拭するためには、一人ひとりが違う存在であるという「多様性」の理解から始まるのではないかと思います。


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