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誰かの役に立つこと

20代半ばのころ、「車椅子介助ボランティア」の募集を見つけて、やってみたことがある。

建築の仕事に携わっているのだから、車椅子用エレベーターや多機能トイレなど、一度は体験しておこうと思ったのが理由だ。大学生時代、祖母の介護を母が自宅でしているのを見ていたというのも、心のどこかにあったのかもしれない。

募集記事を読むと、専門的な知識や経験は不要で、簡単な手伝いと外出先への同行とある。連絡先に電話すると、快く応じてくださり「男性と女性、ご希望はありますか。」と聞かれた。脳障害のある人でも、おじいちゃんでも大丈夫!と覚悟を決めていたので、「どちらでもよいです。」と答えて、緊張しながら連絡を数日待った。

◇ ◇ ◇

担当になったのは、私より少し年上、20代後半の男性。先天的な障害ではなく、大学生時代まではスポーツが得意で活発だったが、事故で下半身不随になったそう。

普段は施設に暮らしており、たまに外出するのでそれに同行してほしいというのがご要望。暮らしている施設から外出先までは施設の福祉車両が送迎してくれるので、決められた時間に待ち合わせの駐車場へ行き、帰りは決められた時間に駐車場へ戻ってくればいいのだ。


最初の日、彼は私にやってほしいこと、自分でできることをとてもわかりやすく、整理して話してくれた。人にお願いすることに、とても慣れている。

それによると、車椅子の操作は自分でできる。車椅子で通れる道、通路は自分がわかっているので一緒に付いてきてくれればよい。食事は手に取りやすいものであれば自分で食べられるので、手助けは不要。お皿の位置を調整したり、飲み物にストローを差すことはやってほしい。映画館や飲食店の支払いは、お財布を渡すのでやってほしい。トイレについては、尿が袋にたまるようになっているので、それを流して捨ててほしい。

ということで、ほぼ、必要なことは自分でできてしまう。

私がやることは、あんまり無い。というかほぼ無かった。


一体、なぜボランティアを頼んだんだ、という疑問と、ちょっと拍子抜け、正直なところ、つまらないという気持ちも抱えながら初日を終えた。


しばらく経ったあと、事務局から「また、彼が外出したいそうで、Lisaさんがよいと希望しているが都合はどうか。」と連絡があった。「行きます」と返事をしたものの。どうにも解せない。

言われたことをやっただけだし、大したことはしていないし、動きはぎこちないはずだし。なぜ私を希望するのかわからなかった。


◇ ◇ ◇

ボランティア2回目。

することが無いし、1回目よりは緊張もしていなかったので、お話を聞くことができた。そして、お話を聞くうちに、いろいろなことがわかってきた。


施設に暮らしながら、大学に週1回通って研究を続けていて、金銭的に不自由は無く、障害を持った人の中ではとても恵まれているということ。

でも、大学では年齢差もあってか関係をつくりにくく、なかなか話し相手がいない。事故に会う前の友人たちは、かつて何不自由なく活発に動いていた過去の自分を思い出してしまうので、あまり会いたくないこと。

施設に一緒に暮らす人々は先天性の障害がある人がほとんどで、彼が望むような会話ができる人はいないこと。


ということで、ボランティアには何かしてほしいのではなく、同年代で、観た映画の感想を話せる相手、読んだ本の感想を話せる相手、大学での出来事を話せる相手を求めていたことがわかった。


後日、私からお願いして、彼が暮らす施設を見学させてもらったことがある。それは、当時の私にとっては衝撃だった。

病院ではないものの病棟と似た施設。パジャマのような服装で歩行器や車椅子でしか移動できない人々。常に何かの管が身体と機械をつないでいないといけない人々。会話どころか、叫び声のような声が常時聞こえてくる環境。私はここでは暮らせないと思った。

先天的に障害を負った人々の中で、後天的に障害を負ったものの思考はクリアな人が暮らすのは、とてもしんどい。しかも病院ではないので退院はなく、一生続くのかと思うと、私は何も言えなかった。


◇ ◇ ◇


ボランティアとして外出に付き添った最後、かならず彼が無理を通したことがある。

外出が終わり、福祉車両の待つ駐車場へ送ったら、ボランディアの私はそこから徒歩か電車で自宅に帰るのがルール。でも彼は、私の自宅へ車で送り、その後施設へ帰るように運転手に必ずお願いしていた。

ほんとうは福祉車両が一般の人を送ることはできない。法律上、タクシーと福祉車両は扱いが違うので、違反になってしまう。

けれども、彼は運転手さんに無理を言って、私を送りたがった。私はもちろん送ってもらったあとは、運転手さんと彼の両方に「ありがとう」と伝えた。


どんな状況になっても、誰かに何かしてあげること、誰かの役に立つことが人には必要なんだと思った。たとえ、自分が直接できなくても、誰かに依頼をして、実現することでもいいから。


そして、人は誰かから「ありがとう」と言われたいのだと思った。


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