楽しく働くということ.楽しい仕事を作ること.
田中邦裕(さくらインターネット (株)代表取締役社長)
私が小さかったころの将来の夢はエンジニアになることで,それを原動力に高専へ進学し,ロボコンに打ち込みつつ,芽が出始めたばかりのインターネットにのめり込み,寝る間も惜しんでパソコンと向かいあった.
そんな高専生が18歳で学生起業したのは,自分が運営していたサーバとたわむれ続けることを,人生において持続可能にするための生存戦略であった.いわば起業は手段である.
さて,いま世の中ではIT人材が足らないらしく,どこへ行っても優秀な人材をどう育てるのか,どうやって採用するのかといった会話が聞かれる.
これに対して感じるのが,いかにも雇う側だけの理論で話されているなということであり,雇われる側,すなわちIT人材の内発的動機が無視されているなということである.
本来,コンピュータが好きな人がIT企業に就職したら,毎日がやりたいことで満たされていて,やりがいしかないはずである.
しかし,経営者や事業開発をする人たちの多くはIT人材を自社プロダクトの実現手段としてしか見ておらず,次第にやりがいはなくなりコンピュータが嫌いになっていく.
よく経営者からエンジニアリング組織づくりに悩んでいると聞くが,最初に必ず聞くのが「IT人材をプロダクトづくりの手段としてだけで見ていないか?」というもので,そもそも一緒にプロダクトを作るクリエータ仲間として見てはどうだろうかというアドバイスをする.
私の好きな法律のエピソードの1つに,1985年の著作権法改正でソフトウェア著作権を組み入れたというものがある.
著作権とはクリエイティブに対して発生するものであり,当時,著作権法を所管する文化庁からは工業製品たるプログラムにクリエイティブを認めるのかと反論があったそうだ.
そのエピソードに,そうか,ソフトウェアはクリエイティビティそのものなのかと,妙に合点がいったことを覚えている.
そして,未踏のクリエータがクリエータと呼ばれるのは,当然のことなのだろうと思いを馳せる.
画家や音楽家は,為政者のプロパガンダのために絵を描けとか,国民の士気向上のために音楽を作れといったように,何かの手段のために働かされるときほど面白くなく,ソフトウェア作りでも同様だろう.
そんな中,自らの会社で,何かの事業のためにIT人材が必要だから雇っているのか,IT人材を雇うために事業を作っているのか分からないことがある.「やりたいことをできるに変える」という社是の当社にとっては,IT人材の良い就職先と仕事を作ることこそ,企業が存在する使命なのではないかと感じることさえある.
コンピュータは楽しい.そしてプログラミングも楽しい.
コピープロテクト外しに躍起になっていた一学生も,今ではソフトウェア協会の会長であり,ソフトウェア著作権協会の理事なのだから,なんとも皮肉なものであるが,これからもITの仕事が楽しいものであり続けさせることは,デジタル化で日本を支えること以上に,自分の重大な責務であると思っている.
(「情報処理」2022年12月号掲載)