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自分で決める

難病が発覚して以降、学校へ行けてはいなかったものの、自分の夢は諦めなかった息子。

とはいえ「学校へ行く」という行為がなくなったことによって、当然のように生活のリズムは崩れた。昼夜逆転はしなかったものの、自然と朝起きる時間は遅くなった。そりゃそうだよね、学校へ行かないんだもん。私は勉強がどうかよりこのまま生活リズムがとめどなく崩れていくことが心配だった。

病気発覚直前に入塾申し込みをしていたので「塾にでも行ったら?」と話したが、行こうとはせず、オンラインコースなので自宅で講義は受けていた。「まだ○○高校の生徒なのにそんな昼間に私服で駅前(学校も塾も同じ最寄り駅)をフラフラしたらいかんやろ」と息子。「そんな私服でいたって誰もあなたが○○高校の生徒だなんて分からないし、別に遊んでるわけじゃなく塾に行くんだからいいんじゃない?」「それは塾に行かない言い訳だろう…」とまで思っていた。

ただここで「行きなさい」というのも違う。そんな親に言われたからと塾に行ったって、ただただ時間を潰しに行くだけのこと目に見えてるから。親に言われるのがメンドクサイから行く、しかも誰かに見られたら気まずいなと思いながらこそこそと行く。そんな自分のない生き方を私は望んでいるのはない。

とりあえず見守っていた。

そして9月末で今までの高校を退学し、通信制高校へ転校となった。
すると、10月からはほぼ毎日午後から塾の自習室に行くようになった。
(午前中はみんな学校に行っているから開いていない)

塾も学校もオンラインコースなので、基本通学しなくても全て自宅で完結する。でも自分の中で、通信制高校に転校したら、午前中は家で通信制高校の、午後は塾の講義を受けると決めていたようで、ちゃんと転校と共に行動を変えたのだった。

家や塾で勉強し、駅ではこそこそするどころか、今までの高校の友人と待ち合わせをして一緒に帰ってきたりする姿を見ていると、9月末まで行かなかったのはいいわけではなく、息子なりのけじめだったんだと気づかされた。

通信制高校になって基本全て自分のペースで進めていく。もちろん、レポートの提出期限などはあるものの、それまでにどういうペースでやるのか、どんな順番でやるのか、どんな勉強方法でするのか、全て自由。自由には責任が伴うわけで、その選択の結果を誰のせいにすることもできない。

結果が思うようにいかなかったら、また自分で改善し、実行してみる。思うようにいけば、それは自信となって、更に前に進むことができる。

これってこれから先、大学に行っても、社会に出ても必要な力だ
「自分で決める」

その瞬間だけを見て、息子の選択、決定、成長する機会を奪わなくて良かった。そして親である私も自分で決め、その行動に責任を持てているかと振り返るいい機会になった。

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