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難病発覚からの大きな決断

5月に体調の異変に気づき、6月に難病の診断をされた息子。

その後の経過をnoteには記してこなかったが、大きな決断をした。

5月に体調を崩してから1日も学校に通えていなかった。
症状が出ていたり、学校で症状が出たらどうしようという心配から登校できていなかった。

だからといって、家で落ち込んでいたわけではない。体調に合わせて、自分で勉強はしていたし、テニススクールも行っていたし、趣味のロードバイクも乗り回していた。外から見たら、元気そのものでなぜ学校に行っていないのか分からないくらいだった。

ただ、息子は出席日数で留年になるのではないかと心配していた。私は状況が状況だし、留年したってかまわないと覚悟していた。

本人にも「留年したって遊んでさぼっていたわけじゃないし、大学も何年も浪人して入る人もいるから年齢が違うことに焦る必要はない」と話していた。しかし息子は「どんな理由であれ、留年して後輩と同じ学年で勉強するのは嫌だ。留年になったらもう今の高校は退学する。この体調ではギリギリまで頑張ったけど、最後の最後で症状悪化で日数足りず留年になるかもしれない。それならもう今退学して自分のペースで勉強できる通信制高校に転校し、今の同級生と同じタイミングで大学受験をしたい」と言った。

確かに理由は何であれ、後輩と一緒に勉強することになる辛さも分かるし、ギリギリで卒業できずもう1年となるのは、まだ若い息子にとってそう簡単に受け入れられることでない気持ちもよく分かる。

そして何より、次なる目標を掲げているにも関わらず、それが1年延期となった時のショックは計り知れない。

まして通信制高校に転校してまでも大学進学を目指そうとしている息子の選択を否定する理由なんてどこにもなかった。自分の体調に向き合い、最善の道を考えていた息子。

中学受験でギリギリに候補に挙がった学校へ進学し、素敵な先生方に恵まれ、小学生で不登校だっとは思えないほど楽しく登校できた中学校、そしてその同じ仲間と共に高校へ進級し、担任の先生も中学1年生からずっと同じという安心安全な場所、そこを自ら飛び出そうとしている。

母として、そのことに全く心配がなかったと言ったらうそになる。もちろん心配だ。本人に聞いたりもした、「みんなと離れることに心配はない?」と。しかし、息子は「学校は辞めたとしても、連絡先は知ってるし、引っ越しするわけじゃないから、いつだって会えるよ」と。強い…

確かに学校に行っていないけど、お友達から連絡もらったり、クラスでの様子はよく知っていた。身体こそその場にはいないけど、今まで息子が中学入学してからこれまで築いてきた絆は強固なものとなっていた。

だからこそ1か月ほどしか通えなかった高校だけど、自分にはたくさんの仲間がいるという事実はその場所を離れたとしても決して崩れるものではないという心の支えがあり、今回通信制高校から大学を目指すという選択をすることができたに違いない。

そう思うと、小学生の時不登校になり、決して前向きとは言えない中学受験で本当に辛かったと思うけど、そんな中で受験したことには意味があった。そしてその出会えた学校でここまで強く育てて頂けたことはどれだけ感謝してもしきれない。

中高一貫校の高校にはほとんど通えなかったけど、ここの中学校で出会えた先生方、お友達は一生心の支えとなるタカラモノであり、そこで育んで頂いた力は1つの形となって大きな一歩を踏み出そうとする息子の背中を押した。

ここまでの数か月、全く学校に行っていなかった息子だけど、その成長は目を見張るものがあり、難病を通してその成長に気付かせてもらうことができた。

その息子がした選択を応援しない理由なんてどこにもない。息子だって不安や心配もゼロではなかったはず。でもそれを上回る力で乗り越え、進もうとしている。

もう大丈夫!
あなたなら出来る!
応援しているよ!

そしてそのあなたの姿に私も励まされてます!!
これからも共に突き進んでいこう!!

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