まさかの難病…
めったに凹むことのない私、久しぶりに凹んだ。
今回この記事を文字に起こすことすら、どうなんだろう?、こんな記事読みたい人いるのかな?、読んで下さった人の気持ちが重くなってしまっては申し訳ないし、アップしないでおこうかな?なんて色々考えていたが、そんな日だって私の人生の大切な1日には変わりないし、むしろ何もない平凡な1日より忘れられない大切な時間、ここからまた新たな壁を乗り越えていくという覚悟を決めた時間にもなったので、あえてこれも人生の1ページとして消し去ろう、忘れようとするのではなく、書き綴ろうと思う。
それは先月から元気はあるものの、気がかりな症状が続いていた息子。ただ先月はコロナで家族全滅したこともあり、その後遺症?なんてしばらく様子を見ていたが、それにしても長すぎるし、なんかおかしい…
病院に連れて行ったところ、重い病気の可能性が否定できないからと、急遽夕方から検査をすることになった。そして検査も終わり、、先生から説明があった。
「まだ検査結果が全て出揃たわけではありませんが、難病(病名を言われた)である可能性が否定できません」
難病…
まさかそんな…そんなはずないよね…
まだ15歳だよ…
その病気がどんな病気かは薬剤師としてひと通り勉強はしていたので分かってはいた。その病気の患者さんに薬だって渡したことある。ただそれに我が子が罹っているかもしれないなんて…しかも15歳という若さで罹っている患者さんには出会ったことがないのに、まさかそれが我が子とは…
いや、でもまだ確定したわけではない。一応他に可能性のある病名も聞いてはいたので、そっちだろうと信じて検査結果が出そろうのを待った。
そして1週間後検査結果が出揃い、聞きに行った。
最初の診断が覆ることはなかった。
検査結果が出揃うまでの1週間、今やスマホ一つでなんだってすぐに調べられる。息子自身それがどんな病気かは調べて知っていた。知ると共にこの1週間で覚悟もしていたのだろうか、診察が終わった後も一見いつもと変わらない息子がいた。
私はもうその場ででも泣き崩れそうだったが、息子がしっかりと受け入れようとしているのにそんなわけにはいかない。完全に私が息子に支えられていた。
なんで息子ばかり…
生後7カ月で喘息もちであることが発覚し、その後重度の食物アレルギーでかなりの食事制限、入退院も何度か繰り返した。
そして今回の難病…
帰りの車で謝ることしかできなかった。
「元気な身体に産んであげられずごめんね」
「そんな謝らなくていいよ。もう喘息もほとんど出なくなったし、食物アレルギーももうほとんどないし…今回のだって薬飲めばいいし」
帰宅後、主人や娘に話すときも、気丈にふるまっている息子の姿にも涙しつつ、私はどれだけ励まされたことか計り知れない。私は息子の前だけでも明るく振舞わないとと思いながらも、そんな姿を見せれるほどの心のキャパはなく、いっぱいいっぱいの状態で闘病生活はスタートした。
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