雑記 #いのちの歌
5月3日憲法記念日、朝ドラを観た後、
この間GW前半に実家で母が唐突に「竹内まりやの『いのちの歌 』だっけ、あれ良い曲よね」と言ってきて、わざわざ言ってくるって事はなにか意味があるんだろうな、と思ったのを思い出した。
高校生の時に山下達郎が気になる、からの経緯で二人が夫婦だと知り、竹内まりやのベストアルバムも借りてきてiTunesに落として聴いていたけど、パッと思い浮かばなくて知らない気がしたから、検索して聴いてみた。耳にしたことはあるけど、あまり意識した事がない曲だった。
朝ドラに続けて、朝からまたボロボロ泣いた。
素直に自分自身の立場で感じることと、母の立場でこの曲を聴いて、母がどんな想いでこの曲を聴いているのか考えたらダブルで泣ける。
母が弱音を吐いたり、涙流すことってゼロに近くなかったけれど、泣きたい日も、そばにいて欲しかった時もそばに感じたこともあっただろうな。
唯一泣いていたのは兄が反抗期真っ盛りの時に、境遇や我が家に対してボロクソ言った時だった。(兄は、姉が結婚式でも言ってたくらいに、本当は優しい奴)
「お母さんも望んでこうなったわけでもないのに、そんなこと言わないで」と思いながら口にはできず私もその光景を目にしてただ静かに泣いてた。兄も泣きながらボロクソ言ってるし、母は怒りながら悲しんで泣いた。そのあと母は外に散歩に行った。この頃よく、こうして夜ウォーキングに行っていた。私も一緒についていくことも多かった。
少し考えれば、母のちょっとしたリフレッシュ法、習慣みたいなものでしかなかったのだけど、言い争ったあとだと、帰ってこないんじゃないかととてつもなく不安だった。
家に置きっぱなしの携帯電話に気付かず、馬鹿みたいに電話かけたりもした。なんせ、私はどんな時も母を失うことを一番に恐れていたし、死を恐れていたし、いつも勝手に最悪の事態を想像するのが癖だった。
今思うと、そんなことばかり考えてなんて不謹慎な子どもなんだろうと思う。
でも、守らなきゃ、守ってもらわなきゃっていう子どもながらの自己防衛ゆえの、不安みたいなものだっただろうし、仕方がない。必要ないけど、必要だった。
お父さんが生きてたらと願って、この運命を与えた神様をこれでもかってくらい恨んだ時期だった。それを心の中で思うことはできても、誰のせいでもないから言葉を放つ相手はいなくて、私には泣くことしかできない。兄の気持ちだって痛いほどわかった。ただ、母に向けて良い言葉でなかった。
本来、健全でもあるこの兄の反抗期だけれど、お母さんは親としては一人で乗り越えなきゃいけないんだ、夫婦で話合ったり、相談しあったり、分かち合うこともできない、お母さんは子育ての悩みを話す相手もいない、とどうしようもないくらい悲しくなったのを覚えている。
坂口健太郎の母親にあったらハグする、の話を思い出す。父親が他界しているから、ふと母親をこれからハグする人っていないなと思って、会ったら絶対ハグしようって決めたと。
同じようなことを思って、悲しくもなったことあるし、姉も兄もそう言うキャラじゃないし、ここは私が末っ子気質を発揮してやろう!しかも、ここで私が母に触れる機会を逃したら一生小っ恥ずかしくなって出来なくなるかもしれない!ラストチャンス!くらいの気持ちで、中学生くらいの時?高校とかもかな...忘れたけど、意識的に、でもナチュラルに買い物行った時とかに手を繋いでみたり、肩に顎のせてひっつき虫みたいに歩いたり(おかしいよ...って感じだけどよくしてた)そんな感じで、ボディタッチ増やしてた時期があった。
こうやって文字にすると積極的に好きな人にアタックする変な人みたいだなぁ...
まぁ、兄の反抗期を見て泣いていた私ですら、兄ほどではないけど小6、中1あたりはそれなりに反抗していたし、困らせただろうから人のことは言えないけど。(きっとそれが、健全なのだと思いたい...)
そんなこんなで、そういう時を経た今、この曲知ってる?と話をしてきた事にも泣ける...
お父さんと出会って、私たちを産んで、一生懸命育ててくれて、生きていてくれてありがとう。
ps.写真は、そんな事ことがあったあと、ついこの間音楽番組でも流れてきた時の。
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