丁寧な暮らしでなくとも。


noteでの毎日更新は絶たれた。笑

というのも、なぜかnoteのアプリが起動しない。

これだけで書くことへのハードルがぐっと高まり、WEBページのUIやUXなどもいかに大切かが実感できる。

今はサーバー上から更新をしてます。やり難い。

でも、Facebookにはちょくちょく投稿していたので良しとして頂きたい。(自分で納得)

つい先日、暮らしの手帖の新編集長が決まった。

その時の「ごあいさつ」が、なんとも素敵だった。Facebookにもちらと書いたが、あったかくて、やさしくて、つよくて、いさぎよかった。

今回の暮らしの手帖のテーマが実によい。「丁寧な暮らしでなくとも」というものだ。

「丁寧な暮らし」という言葉が、どこか嘲笑の対象になり、自分とは違うと一線を引かれてしまう立場になっている感覚は、私もなんとなくわかる。自分もそう思ってしまうところもある。

仕事で1度、ある料理家さんの取材に同行させていただいたことがあった。世間のイメージでは、彼女も「丁寧な暮らし」を体現している方。

でも、その際にもすごくかんじたのだが、彼女が大切にしていることは、丁寧さではなくて、「心地よさ」だった。

つまりそれは、自分にしか分からない「ああ、いいなあ。」という感覚をとても大切にされているだけ。

それが、ガラクタから拾った古いお皿だったり、何気なく旅先で買った動物の置物だったり、少し手間ひまをかけてつくる料理だったり。

丁寧な暮らしに宿る意味は、「丁寧さ」という言葉に集約されてはならない。

もっとそこには、生々しい個人主体の匂いをぷんぷんと香らせなければならないし、定義やイメージをこちらからつくってはならないよね。

丁寧な暮らしの次は、心地よい暮らし、かな。


さいごに、暮らしの手帖の新編集長さんからのあいさつを転記します。


●新編集長からご挨拶

はじめまして。今号から編集長となりました、北川史織と申します。
この場をお借りして、いったい何をお伝えしたらいいものか、書いては消し、消しては書きをくり返しましたが、もうそろそろ時間切れ、まずは自己紹介をさせてください。
私は『暮しの手帖』編集部に入って9年4カ月、これまで副編集長を2年半ばかり務めてきました。「この雑誌をつくりたいなあ」と入社を志したのは、ただひとつ、表紙をめくるとある「これは あなたの手帖です」から始まる言葉に惹かれたからなのです。正直、この言葉を書いた初代編集長の花森安治のことも、雑誌が持つ歴史についても、ほとんど何も知りませんでした。おそろしいですね。

転機はおそらく、連続テレビ小説『とと姉ちゃん』が放映された4年ほど前に、この雑誌の歴史を振り返った別冊をつくったことでしょう。1948年の創刊号から1978年の第2世紀52号まで、花森安治が編んだ152冊の『暮しの手帖』は、企画もビジュアルも圧倒的に素晴らしくて、どの頁からも、腹の底から読者にまっすぐに語りかける「地声」が聴こえてきました。
本音を言いながらも、掲げる理想がちゃんとある。真摯だけれど、ときにユーモアたっぷり。そしてまた、読者の投稿頁の、知性と人間味があふれる面白さといったら。雑誌を通して、読者とつながりあう。「これは あなたの手帖です」の意味が、胸にすとんと落ちた気がしました。

「9代目編集長」という重いバトンを手渡されたとき、まず考えたのは、この「地声」のことでした。告白するまでもなく、私は花森安治のような天才編集者では決してなくて、自分を10人束ねたって、とうていかないっこないことはよくわかっています。
けれども、私は『暮しの手帖』が好きだし、この雑誌を愛してくださる人たちが好きだ。もし、私たち編集部員がこの時代を怯まずにしっかりと見つめ、読者と世の中に語りかける「地声」を持ちえるなら、私たちにはまだ、果たせる役割があるんじゃないかな。花森さんが亡くなって42年、世の中には相変わらず怒るべき理不尽がはびこり、私たちの小さくとも大切な「暮らし」は不安におびやかされているのだから。
そう思ったのです。

4号の巻頭企画のタイトルは、じつはなかなか決まりませんでした。
「丁寧な暮らしではなくても」。そんな言葉が胸の奥からすっと浮かび上がってきたのは、たぶん私のなかにずっと、「丁寧な暮らし」というフレーズにたいする懐疑があったからだと思います。
でもどうか、誤解しないでくださいね。私は、「一日一日を丁寧に送ること」を否定したいわけじゃありません。ただ、そうした暮らしぶりの中身は一人ひとり違っているはずなのに、「丁寧な暮らし」というラベルを貼ったとたん、のっぺりと無個性に思えてしまう。「そういうのは、ゆとりのある人だけにできることじゃない?」なんて、やっかみも生まれる。それがどうにもいやだったのです。
この企画で取り上げたのは、長野県の小さな集落で暮らす、写真家の砺波周平さん、志を美さん一家の生きざまです。若い働き手として集落に身を置くことは、ときに面倒な人間関係に揉まれることも。愛する家族はそれぞれが「個人」であり、日々小さないさかいもあるけれど、周平さんはそれらを丸ごとひっくるめて「いとおしい」と言います。
それはなぜ? というところは、ぜひ、記事をお読みになってつかんでいただけたらうれしいです。ただひとつ言えるのは、丁寧であろうとなかろうと、私たちの暮らしに必要なのは、自分なりの「納得」ではないでしょうか。いのちを支える「食」さえも、お金を出せば、ひとつも手を動かさずに賄えてしまう時代です。大きなものに巻かれず、自分の手と知恵をはたらかせて、一生懸命に、正直に、素のままに生きていこう。4号には、そんな思いをこめました。
たいへん長くなって、失礼しました! 私たち編集者自身が、かっこうつけず、等身大でみなさんに語りかけてゆく。そんな「地声」を持つ『暮しの手帖』をつくっていけたらと思います。どうかこれからも、「あなたの手帖」をお支えください。

『暮しの手帖』編集長 北川史織


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