ささやかな冒険、はじめます。
オリジナル肩書きを100人分つくる。
これは、わたしのささやかな冒険です。
なぜ、この冒険をしようと決意したのか。
ここに記しておきます。
忘れないために。
中途半端な自分とおさらばしたかった。
わたしは、中途半端な自分が嫌いだ。
中途半端な自分なんてくそったれと思いながら、
色んな事に挑戦してみては、如何せん続かない。
途中で飽きてしまう。
その原因を探ってみると、
「自分が本当にやりたいと思ったことをやっていない」から
かもしれないと気付いたのは最近だ。
どこか、借り物の言葉や基準で、
自分というお人形を操っている気がして、
気持ち悪さを感じていた。
昔はというと、一人っ子の私は、常に親の顔色を伺っていた。
嫌われたくない、ほめてほしい、私のせいでケンカしないで、
その一心だったように思う。
でもある日、自分の基準で生きたい、
生きてもいいんだ、と気づいた。
気づいたはいいが、どう生きたらいいのか分からなかった。
自分で自分を誇れるものが欲しい。
私は私でいいんだと言える、泥臭い自信が欲しい。
これをしたんだ!やり切ったんだ!と言えることを、
1つでも携えることができたら、自信の裾くらいは掴める気がした。
敷かれたレールを歩んできたと感じてしまう自分の人生に、
ひとつささやかでいいから、深く残る釘をぐさりと刺したい。
じんわりと血がにじむくらい、
これは私の生きた軌跡なんだ、
といえることがしたかった。
何をやったって半端な人間の私でも、
これならできるんじゃないかと思った。
そう初めて思えたことが、
このオリジナル肩書きを100人分作ることだった。
オリジナル肩書きは、想いの交通整理。
わたしは現在、cocanというプラットフォームで、
オリジナル肩書きをつくりますよ!という商品を出品している。
要はコトコト交換の世界だ。
zoomなど対面でインタビューをして、
その方のご依頼に沿ってオリジナルの肩書きをプレゼントする、
という出品。
アンケート形式も考えたのだが、お相手の方から発せられる言葉の持つ匂いや温度を読み取りたかった。おもしろい、ひとつにしたって解釈は夜空に広がる星の数くらいある。
やるなら、とことんやるのが私の筋だ。
ありがたいことに20名ほどの方から、ご依頼をいただいた。
はじめは緊張しすぎて、初代ターミネーターばりに、
がちがちに固まっていたと思う。(みなさんありがとうございました。)
その人の奥底に眠る、言語化されるのを待っていた想いの原石を見つけ出す時間は本当に楽しかった。いわば、探検家の気分。
会話は生もの。
その一瞬でも逃してしまうと、
その原石を掘り出せる本質的な会話のきっかけは、
あれよあれよと去ってしまう。
何名かの肩書きを創っていくうちに、
オリジナル肩書きをつくること、
それは、迷子になった想いたちの交通整理をしてあげること、
ではないかと思うようになった。
というのも、ご依頼いただいたみなさんは、
【○○であり○○でもあり○○】という、
いわゆるパラレルキャリア的な方が多かった。
しかし、できることが多いがゆえに、
ひとことで自分をなんと表せばいいのか、悩んでいた。
できることの多さに悩んでいるわけでもなかった。
傍から見れば、ちょっと違うことをやっていても、
自分の中では一本筋が通っている、
でもそれをなんと表せばいいのかわからない。
わたしも、みなさんと同じような悩みを抱えている人のひとりだと、
肩書きづくりを通じて考えるようになった。
自分はいったい何屋さんなんだ。いや、何屋さんになりたいんだ。
この問いに答えられない苦しさを抱えていた。
いわゆる「職業」と呼ばれるようなものではない。
なぜなら、自分にぴったりはまる職業が存在しないからだ。
私はというと、大学を卒業し、
死にもの狂いで憧れの広告会社の就活を行い、入社。
新卒入社5年目のしがないOLだ。
仕事を通じて色んな人と出会うことが楽しくて、
「この人と会わせたら楽しいことが起こるかも」とおせっかいに繫げることが楽しくなっていった。
大学時代から趣味だった「文章を書くこと」も息をするようにしていると、
Facebookの投稿に「みゆうの文章好き!」とコメントをもらうようになって、その言葉があまりにも嬉しくて、調子に乗ってやたらと投稿するようになり、いつしかライターとして活動し始めていた。
OLだけど、OLに収まりたくない。
でも、何者なのか、何者かにならなければ。
いつしか強迫観念に駆られていた。
言葉は、意思疎通を図る役割の他に、
グルーピングといった効率化を図る役割も含む。
既存の言語が存在しなければ、自分で作りあげなければならない。
相談してくださった方々は、今の世の中には(きっと)まだ存在し得ないことを体現しようとしているからこそ、既存の「言葉」が無く、言語化された解を求めていたのだと思う。
目に見えないものは大切だが、
目に見えないと、手触りがないと人は不安になる。
cocanで、挑戦してみたい。
そんな私にとって、いつしかcocanというプラットフォームは、
オンライン上ではあったがひとつの居場所になっていった気がする。
色んなことに手を出してしまう「半端者な何者でもない自分」であっても、
受け入れてくれた場だった。時を過ごすうちに、いつしか安心と自信に変わっていた。
というのも、今回の肩書きづくりを通じて、
実にいろんな世界で活躍されている方々と出会ったことが大きい。
・ひとり人事をしながらミュージシャンの広報をやっている方
・ハンドメイドアクセサリー作家と作家さんへのコンサルティング事業を行われている方
・社会福祉士の資格を勉強しながらコミュニティ運営をされている方
・フリーランスのSEもしつつ、場づくりを実践されている方
・纏う色を伝えるライターでありながら場づくりを通じて組織の円滑なコミュニケーションを推進する方
・介護リフォームの会社員でありながら台湾サッカーの普及に努めている方
・シナリオライターだけでなくイベント企画・運営をこなす方
・全盲ママとして子育てとビジネスを両立している方
・会社員からフリーランスとなり日本酒の本の出版やライター業をされている方
・主婦であり、会社員であり、生きづらい人たちの居場所づくりを行う方
・デザイン会社のデザイナーでもあり、写真家でもある方
・子育てをしながら「子育てするママをサポートしたい」と会社を経営されている方
・整骨院で働きながら、自分の身体をケアする方法を発信されている方
・美容学校の講師を務めてフリーランスへ転向、美容家でもあり旅人でもありネイリストでもある方
・介護福祉士をしながら看取り士の資格も取り車椅子体験のコミュニティに属している方
・外資コンサルからコーチングへ転職され、田舎暮らしの実践をされている方
挙げたらキリがないのだが、
その生き方・考え方といったら千差万別。
十人十色、この言葉がぴったりだった。
この1か月でジェットコースターのようなスピード感の中で、
普段の暮らしでは起きない出来事が一気に起こった。
出会いが生まれた。感情に触れた。悩みに葛藤に向き合えた。
千差万別の生き方に触れ、わたしは救われた気持ちになったのだ。
みんな何者でもない。
色んなフィールドでチャレンジしながら、
何者でもないまま頑張っているんだと。
自分自身を励ますためにもアンケートを取っていたのですが(笑)
もらったコメントやnoteの記事を見て、心底「やってよかった」と思えことも、このチャレンジを後押ししてくれた。
散らばっていた気持ちを「言葉」という形にまとめていただけて、「これからこの方向に頑張っていこう!」という気持ちになれました!
ざっくばらんにお話出来たところ。話しやすく、私自身のイメージやビジネスアイディアも頂いて、自分の将来のイメージも膨らみました!また、頂いた肩書きと自己紹介も、自分にしっくりと来て、かつ、元のプロフィールが尊重されている感覚もあり、ナチュラルに「自分らしい」プロフィールになりました^^
とても話しやすく、自分のことを引き出して、肩書のご提案をいただけました。
表面的ではなく、思いの深いところまでを言葉に宿して贈ってくれるサービスです。正直、私の活動も思いもふんわりしていて、「これ言葉にするの大変だろうな……」と勝手に思っていたのですが、言葉にしにくい信念や価値観までもが情景としてちゃんと伝わる言葉にしていただけて。たくさんたくさん考えてくださったんだろうなと、時間が経つたびによろこびが増していくし、実は泣きました(笑)
その人以上にその人のことを信じて魅力を引き出してくれるサービス
自分では気づけないよさに言葉でラベルをつけてくれるor気づきやすくしてくれるサービスだと思います。
とても話しやすく、なにより楽しかったです。いただいた肩書きはとても素敵なものだったので、大変満足しています。
本当にうれしかった。
皆が「オリジナル肩書き」を携えることは、
しまっていた羽を拡げて、一斉に羽ばたいていく、
そんな感覚を持った。
やりたいからやる。それだけ。
でも。
はじめは、この100人を通じて、
何をするのかとか、
何がしたいとか、考えれば考えるほど、
分からなくなってしまって。
ただ単に、100人やります!!みたいな、
とんちんかんな企画は好きじゃないし、
他でもない、わたし自身がこの100人という数字を追うことに何の意味があるのか。
別に有名人でも何でもない私が、
100人やって何か意味があるのか。
思考回路はショート寸前。(世代がばれる)
絡まったネックレスのチェーンのように、
考えれば考えるほど、ぎゅうと結び目はより固くなり、
思考がほどけなくなっていった。
でも、ふと気づいた。
だれかのために、とか
じゃなくて、やってみたい。
ただ、やってみたいんです。
わたしのもうひとつの居場所を作ってくれた、cocanという場所で、
チャレンジしてみたいと思った。
気づいたきっかけは、
「植村直己物語」という映画を観たことでした。
かの有名な冒険家である植村直己氏。
南極横断、世界初の五大陸最高峰登頂者など、名だたる実績を持つ彼。
しかし彼は、日本では「定職につかない社会のおちこぼれ」。
でも自分が自分として生きる、生身の身体と精神を最大限に信じて、ひたすら冒険した。自分のやりたいことを「やりたいから」という理由で貫き、その姿勢は世界的にも評価された。
(その彼を支えた植村公子氏の生き方も、私は大好きだ。)
今では当たり前となっている、「挑戦」に対して一般人が寄付をする【クラウドファンディング】をはじめに行った人物でもある。
アカデミー賞映画フォレスト・ガンプの主人公と、
植村直己はよく似ているなと感じる。
まっすぐで、純朴で、弱気で、謙虚で、でも譲れないものがある。
他者が不可侵な領域が自分の中にある。
きっとそれは、地球のマントルみたいな、どくどくとマグマが流れている、
近づいただけでヤケドしてしまう、危険な場所なのだろう。
でも、そういう場所を心に持っている人は、つよいし、かっこいい。
私もそんな人になりたいんだ。
植村直己氏の言葉に、
こんな言葉があります。
「みんな、それぞれが、何か新しいことをやる、それはすべて冒険だと、僕は思うんです」
だから、今回のチャレンジは、
ささやかな冒険と呼ばせてください。
自分がやってみたいことに、
社会的意義なんて、明確な目的なんて、
求めなくてもいいと、今は割り切った。
でも、頭では分かっていても、
言語化できない自分がいる。
それが悔しい。
だから、私がまずはやってみようと思う。
きっと、100人の想いの交通整理ができたら、
いまよりちょっとだけ世の中が明るくなるんじゃないか。
自分が自分のやりたいことに自信を持つ。
人と違っても、既存の枠組みにはまらなくても、
「それでいいんだ」と思える、
強くしなやかな気持ちを持った時に人は飛躍する。
決意が人を飛躍させるから。
そんな微かな希望を持って、
自分のペースでやってみます。
そして達成できた時には、100人の皆さんといっしょに、
なにか楽しいことを企みたいな、なんて。
価値観が交差する世界、
自分と他者を行ったり来たりできる気軽な場。
オフラインだけでない、オンラインでのゆるやかなコミュニティを、
その時が来たらつくりたい、と思います。
ささやかな冒険物語、はじまりはじまり~!
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🌷special thanks🌷
編集は、洋子@野に咲くことばさんに、
していただきました。
ありがとうございます😭💓
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