手段が目的になった瞬間、美しさは失われる。
今日は雨。
先日、木造の築40年の家に引っ越した。
屋根に打ち付ける雨の音が、心地よい。
今はもう跡形もない、大好きだった母方の祖母の家で聞いた音と、どこか似ている。
思い出すことが、存在することと同義ならば、
それはまだ存在していることになるけれど。
雨の音とは別に、カタンカタンという音も聞こえてきた。なんだコレ。煩い。
よくわからない音に苛々とする私。
わからないものに人は不安や苛つきを覚える。
この音もいつか祖母の屋根の音のように、どうしようもなく愛おしく懐かしい音に変わるのだろうか。なんて事をおもうが、やっぱり苛々とする。
女性でいう、そういう日だから仕方ない。
自分で自分を諭す。
そんなこんなで、本を読んでいた。
自分のしごとを作る、という本。
その本は様々な働く人をどっぷりインタビューして、働き方を研究するという本だ。
インタビュー時は私が3歳とか、
えらく前の話になるのだ、今の時代を予見して合わせてつくられたかの如く、いい本なのだ。
その本の一説に、こんな文章があった。
著名な柳宗理氏のインタビューを終えて、著者からの締めくくりの言葉だ。
企業社会における経済活動の大半は、経済のための経済であり、より多くのお金を引き寄せるためにしごとが重ねられる。しかし本来お金は、人間同士が交換している様々な価値の一時的な代替物に過ぎず、それ自体が目的ではなかった。
デザインに限らず、経済のための経済、医療のための医療、消費のための消費など、目的と手段のバランスを失わない唯一の手段は、私たち一人一人が、自分の仕事の目的はそもそもなんだったのかを、日々自問することにある。
目的と手段。
表裏一体ではあるが、まるで違う。
どんな議論でも、手段ばかりに議論が集中してしまうと、たのしいはたのしいのだが、どこか空虚感のあるものに仕上がってしまう。
空気を良い意味で読めない人間が、かならず仕事では必要なんだろう。
「いや、そもそもこの目的ってなんでしたっけ」と言える人間でありたいし、そういう人生でありたい。
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