近況報告 お笑いについて 2月〜3月
⭐️⭐️⭐️⭐️
(星の数でこの記事のオススメ度を
5段階で評価しています)
皆さんこんばんは
フリックフラックのいっぽです。
いつも僕の記事をお読みいただき、
ありがとうございます。
さて今日は
昨日、一昨日の続きですね。
上京してきて1年が経ちまして
先月、
通っていたお笑いの養成所を
卒業しました。
一段落したということで
ここまでどんな感じで
過ごしてきたのか
「お笑い」の部分だけに
フォーカスして
振り返っていこうと
そういう記事でございます。
一昨日
10月から11月まで
昨日
12月から1月までの
出来事を書きまして
今日は2月と3月ですね。
(ちょろっと4月も
入れようと思います。)
基本的にね、
僕たちのことを
気にしてくださっている方、
応援してくださっている方が
少しでもいることを信じて
書いているので
その方々に向けての
内容になってますし
今日もかなり長くなると思うんですけど
どうか飽きるまで
読んでやってください。
それではスタートです。
2月
はい、2月になりました。
完全に大詰めですね。
この時期から
所属審査への緊張感が
1月にも増して
高まってきます。
半ばごろに
ダンスのレッスンがありました。
これも残り数回ということで
やってる内容は結構
難しいんですけど
何回も繰り返し踊ってたら
えらいもんで
ちょっとずつ、
ほんの少しずつ
覚えてくるもんですね。
この日ね
レッスンが終わった後に
トイレに行こうとしたら
担当講師の方に声をかけられまして
「思ってたより踊れてたね今日」
って言われたんですよ。
一体今まで
どのくらい踊れない人間だと
思われてたんか
わからないですけど
ダンスでも褒められたら
嬉しいもんなんですね。
苦手ながらもやってて
よかったなと思いました。
次の日、ネタ見せ
この日は大阪の頃からやっていた
『つまようじ』、『欠陥住宅』
というネタをしました。
『欠陥住宅』の方は
もはや体に染み付いていて
ウケたんですけど
やっぱりこの1年間で作ったネタで
勝負したい気持ちもあって
どうしようかなという
状態でした。
この日の夜、
1月の平日SMLで
1位をとったコンビが
解散した
という衝撃的な情報を
同期から聞きました。
養成所生活はあと数ヶ月なのに
1位をとって解散してしまうなんて
素直にチャンスだとは
受け入れられないような
そんな複雑な感情で帰宅したのを
覚えています。
その2日後
ネタ見せのレッスンです。
前回やった『欠陥住宅』と
かなり昔のネタ『ボーリング』を
かけました。
『ボーリング』の方は
YouTubeにもあるんで
良かったらみてください
今回は
『欠陥住宅』の反応があまり良くなく、
『ボーリング』の方が
気持ちものっていて
良いんじゃないかという
評価をもらいました。
2月のSMLまで残り5日
といった時期でした。
数日間、迷いに迷って
結局、2月のSMLには
『お揃いのマフラー』を
持っていくことになりました。
そして平日SML当日
結果は
16位
正直、今考えると
全く仕上がっていなかったと思います。
この日に、
3月に行われる2回目の
スクールJCA
(プロダクション人力舎の養成所)との
対抗戦のメンバーが発表されました。
僕たちは無事、
メンバーに選ばれることが出来ました。
素直に嬉しいと思うべきなんですけど
12月と1月の結果を
加味して頂いた結果
選ばれたので
手放しで
喜べたわけではありませんでした。
とりあえずは
週末SMLに向けてやらないといけない
そして3日後、週末SML
結果
15位
この時はさすがに
とほほ
と思いましたね。
この3日間で
かなりネタは変えました。
改良になっていたかどうかは
わかりませんが
題材だけそのまま、
ほぼ違うネタくらいのレベルで
変えて
めっちゃ落ちるか
めっちゃ上がるか
の可能性が高いと思ってたんですね。
まさかのワンランクアップでした。
この日は他にも
印象深いことがありまして
Aライブの1位がね、
キュウカン鳥という
コンビだったんですよ。
彼らは僕と1年間同じクラスでして
ネタ見せの授業も一緒に受けていますから
僕は彼らの今までのネタを
全て見てきたんですね。
ネタ見せでは
ほぼ毎回、爆笑を
かっさらっていたんですけど
ライブの方は
彼らにとって厳しい状況が
続いていまして
彼らはね、
12月の週末SMLでは
Cライブの最下位だったんですよ。
それが、
2月の平日SMLでは
Bライブで1位をとり
この日の週末SML
Aライブで1位
つまり同期の頂点に立ったんですね。
一番下から一番上ですよ。
お笑いの世界で
起きる奇跡って
僕何度か
目の当たりにしてきましたけど
養成所の
こんな世間の目に
触れないところでも
ちゃんと起きてるんですね。
僕、正直ね
この1年間
どの同期が1位とっても
素直に喜べなかったんですよ。
悔しい
とか
次は勝つぞ
っていう気持ちしか
湧いてこなかったんですけど
はじめて心から
おめでとう
って思いました。
腐ってしまっても
おかしくない状況を
耐え抜いて
登りつめたキュウカン鳥は
本当にすごい同期だと思います。
3月
はい、短いようで長かった
養成所生活も
3月で終わりです。
月初めに
最後のダンスレッスンがありました。
今までは
振り付けを覚えて
みんなで合わせて踊ることが
多かったんですけど
この日はね、
みんながそれぞれ動きを考えて
踊る
っていう
今までで一番
お笑いの養成所で行われる
ダンスレッスン
っぽい授業でした。
次の日、
スクールJCAとの
対抗戦当日ですね。
会場である
座・高円寺に着きまして
うわぁ、やっとここに立てるんかぁ
って
僕ね、4年前
まだ大学生の頃に
この当時の在学生、
26期の方が出演された
スクール対抗戦を
見にきていたんですね。
自分が客席で見ていた舞台に
立てるって
芸人の興奮する出来事ランキングの中でも
かなり上位だと思うんですよ。
しかもその時、
僕はジグロポッカさんを
見にきてたんですけど
4年前のジグロポッカさんが
トップバッターで
その日の僕らもトップバッター
同じ出番順です。
熱くないですか?
興奮し切った状態で
会場入りして
ネタ合わせをして
その日は
僕の小学校からの幼馴染と
同居人である
キイロイゾウサンのクロギも
見にきてくれていました。
(ちなみに
クロギの相方である
SIZUKUは
チケット買えなくて
会場に入れなかったらしいです。
なんでやねん)
自分が立ちたかった場所に
立っている姿を
見て欲しかった人に
見てもらえる
ということで
かなり気合いが入っていたんですが
全7回戦行われる中の
初戦
僕たちは
3ー0で負けました。
うん、やっぱりね
タイマンで負けるのって
悔しいですね。
お笑いのイベントって
コンテストとか
バトルライブとか
色々あると思うんですけど
意外に
タイマン形式って
あんまり無いんですよ。
僕としても久しぶりの
タイマンだったんですけど
うん、悔しいですね。
タイマンで負けた日のこと
あんまり書きたくないんで
この日の出来事はここまでにします。
はい、いよいよ卒業までに
残っている大きなイベントも
少なくなってまいりました。
卒業ライブを1週間後に控えた
9日
ネタ見せのレッスンがありました。
この日かけたのが
12月のSMLでも演った
『ひじ』のネタですね。
卒業ライブはね、
今までのシステムとは
違っていて
Cライブ、B ライブ、Aライブという
分け方ではなく
第1部、第2部、第3部っていう
分け方をするんですね。
どのライブがランクが上とかはなくて
A〜Cまでの人たちが
満遍なく割り振られて
卒業ライブとして
1日だけ開催されるんですね。
で、これが所属の
一次審査になっていて
マネージャーの方とか
色んな人が
見にこられるわけですよ。
みんな基本
今までにやって
出来が良かったネタを
持ってくるんですが
僕たちは
『ひじ』と『心理学』で
トップ3に入ることが
出来たんで
このどっちかを一次審査
もう片方を
二次審査に持っていこうと
考えていました。
そこからもう1回
ネタ見せを挟んで
『心理学』をすることに決めて
いよいよ卒業ライブです。
3月16日
卒業ライブ当日
夕方ごろ
養成所の最寄駅である
中目黒駅に着きました。
そこから養成所までは
一本道で
歩いて10分ほどです。
この1年間、
何度も歩いたこの道も
もうしばらくは
通ることもないのかもな
なんて考えながら
ゆっくりと
養成所へ向かいました。
1階から入り、
2階で受付をして
階段を上がります。
卒業ライブの会場がある3階を
素通りして
控室のある4階まで
上がろうとしたその時です。
会場の方から
聞き馴染みのある声が
マイクに乗って
僕の耳に入ってきました。
え、
今の声完全に
ジグロポッカのりょーぞーさんやん
驚きました。
卒業ライブのMCは
事前に知らされていませんでした。
今までは
CライブやBライブの映像を
リモートで観覧し
当日のMCを確認したり
事前に知らされたり
まちまちだったんですが
その日僕は
緊張していたのもあって
同期の誰がウケていたか
などの情報を
なるべく知りたくなかったので
何も確認せず
会場に来ていました。
でもその声を聞いて
その日のMCが
ジグロポッカさんであると
確信しました。
これは僕の頭の中で
勝手に感じたことなんですが
完全に舞台が整った
と思いました。
ジグロポッカさんの存在が無ければ
もしかしたら僕は
この養成所に通っていなかったかも
しれません
僕にとってはそのくらいの存在です。
そんな人たちが
今日はMCで
僕たちの出番は
第3部の中トリでした。
僕らの出番の後すぐに
中MCが入るので
僕たちがネタをしている間、
MCの方は高確率で
舞台袖に
待機していることになります。
つまり
ネタを一番近くで見てもらえる
もうこうなったら
1位を取るしかないと
思いました。
この1年間
何度も思いましたし
ほぼ毎回思っていましたし
今後も思うことでしょうが
この日が一番
思いました。
で、結果
7位でした。
第3部
7位
全く惜しくないけど
めちゃくちゃ悪いわけでもない
中途半端な順位
思い返せば
半年前、
養成所内で行われた
はじめて順位がつくライブでも
僕たちは7位でした。
7位にはじまり
7位に終わる。
ただ、この日は
自分たち的には
出来も良かったと思いますし
何よりも
1年間お世話になって、
ほとんど褒められた記憶の無かった
1人の講師の方に
今までで一番良かったと思う
って言っていただけたんで
総合的には良かったと思います。
ここからは
結果を待つことになります。
一次審査の結果は
3月21日と
3月25日に分けて
発表されることになりました。
どのタイミングで発表されるか
全くわからない状況で
かなり精神的に
不安定な数日間を過ごしましたね。
このタイミングで
祖父や大学時代の同期から
急に電話が来たんですけど
正直、全く余裕無かったですね。
心配かけたらあかんなぁ
と思って
まあ、受かってると思うよ
当たり前やろ
くらいのテンションで
対応してたんですけど
『今回、所属できるが
今後、売れるかどうかは
わからない』
か
『今回、所属できないが
今後、確実に売れる』
の2択だったら
前者を選んでしまいそうな程
おかしくなりそうでした。
そんな中でも
時間だけは過ぎていって
受かっているつもりで
二次審査の事だけは
考えて
余計な事は考えないように
いつもより多めに
バイトを入れたりして
不安を誤魔化しながら過ごしまして
3月21日
一次審査合格者の
一次発表が出ました。
僕たちの名前は
ありませんでした。
いや、わかってるんですよ。
3月25日に
もう一回発表があるから
そこで受かってたら
喜んだらいいし
落ちてたら
どうするか考えればいいし
でも、
落ちたくらいの
テンションでしたね。
僕はまだ良いんですよ。
相方のりつきが心配で
というのもね、
彼は今
養成所の同期と
ルームシェアをしてるんですけども
彼以外全員の名前が
一次発表で
出たんですよ。
一緒に住んでいるのに
自分以外の合格が
既に確定していて
自分の結果だけが
わからないまま4日間過ごす
っていう
地獄ルームシェア状態になるのがね
同居人も気遣いますしね
で、2日後
34期35期学年対抗戦
というのが
行われました。
僕の通っていた養成所は
4月生と10月生ってのがいて
僕たちが
2021年4月に入学して
2022年3月に卒業する
34期生で
35期生ってのが
2021年10月に入学して
2022年9月に卒業する
後輩なんですけども
こういうイベントが
半期に1回行われるんですよ。
で、僕たちは
選抜されなかったので
家でリモートで観覧してたんですけど
全9回戦あって
34期が
9勝0敗のストレート勝ちでした。
リモートで見てても
こんなに興奮すること
あるんやなって
思いましたね。
35期にも面白い方々は
沢山いたんですけど
それを全部
34期が上回っていて
画面越しに同期達が
後輩をボコっている姿を見て
部屋で一人だったのに
気づいたら
叫んでましたね。
そこから2日後
一次審査の二次発表が
ありました。
バイトから家に帰ってきて
発表の時間まで
部屋の中を
ウロウロ歩き回って
メールが届いた瞬間に
ズラーっと並んだ
合格者の名前を
1個ずつ
近くにあった
レシートで隠しながら
見ていきまして
22番目に
僕たちの名前がありました。
気づいたら部屋で裸で
はしゃぎ回ってました。
その数日後、
4月4日に2次審査がありまして
2日後の4月6日に発表があり、
僕たち
フリックフラックは
ワタナベエンターテインメント所属
1年目になりました。
まあこの周辺でもね、
書きたいことは
沢山あったんですけど
えげつない分量になりそうなんで
二次審査に関しては
端折ろうと思います。
ここまで読んでくださった皆さん
本当にありがとうございました。
本当に1年間色んな事があって
色んな出来事を省きながら
書いたんで
この記事を
りつきとか同期が見たら
なんでそんなどうでも良い出来事は
書くのに
あの重大事件書いてへんねん
とか
ツッコミが来そうですけど
僕なりに凝縮して
一所懸命書いたつもりです。
僕は大阪でフリーで
5年間くらいお笑いを
やっていたので
養成所に入るのは初めてですし
事務所に所属させてもらうのも
初めてです。
養成所は
思っていた通りの部分もありましたし
みんなこんなとこ通ってたんや!
って驚くことも多々ありました。
この1年間で
めちゃくちゃ成長できたのかは
わからないですけど
変わったのは本当に
変わったと思います。
僕は1年しか通ってないんで
わからない部分が多いですけど
養成所は
短所を長所に変えてくれる場所で
負け続けていた人間が
負け続けてきた原因を武器に
勝てる場所だったと思います。
全体を通して
僕たちがもうちょっと
世間の目に触れてから
書いた方がいい内容も
あったような気がしますが
今ある感情、
少し前にあった感情を
できる限りそのまま言語化したくて
鮮度を優先しました
最後に
この記事を読んでくださった皆様
そして
この1年間
僕たちに関わってくれた皆様
本当にありがとうございました。
そしてこの1年間ね、
何度も
色んな「もしも」が
浮かんだ事があったんですよ。
例えば
もしも大阪に残っていたら
とか
もしも他の養成所に入っていたら
とか
その都度
存在しない未来に押し潰されそうに
なって
自分たちの選択が
合っていたのか
不安になったんですけど
それを一緒に経験して
乗り越えてくれたりつきには
相方として
また共に戦った
戦友として
感謝したいと思います。
明日からもね、
今日とは打って変わって
アホみたいな記事とか
いっぱい書こうと思ってるんで
懲りずに
読みに来てください
皆さんホンマに
ありがとうございました。
ではまた明日
今後もどんどん楽しく面白い記事書けるよう頑張ります! よければサポートお願いします😊