病気との始まり。

私が精神疾患を認識始めたのは、自分と向き合いはじめてからです。

元々、人間関係を築くのは苦手でした。

自分を表現して主張することも苦手でした。

だから、日常的に躓くポイントは沢山ありました。

日々溜まっていくストレス。

それを発散させることができず、所謂自分いじめのような自傷行為を繰り返してきました。

そこで収まればいいものの、たまに収まりきらず、希死念慮に発達してしまうこともありました。

良くない方向に進んでいる自覚はありました。

学生時代、精神疾患や心理学を学んでいたのでちょっと気付いてはいました。

しかし、自分自身には目を背けてきました。

自傷行為の後、傷痕が残ります。

それを見た周囲は心配してました。

その、腫れ物扱いされている気がして、周囲の目線が更にストレスでした。


社会人になり数年。

仕事に追われて、ストレス対策どころではありませんでした。

年度の区切りの頃、ちょっと、自身と向き合おうとふと思い立ち、自傷行為をやめたいと思い始めたのです。

そこで、やめる方法をネットで調べ、精神科に相談に行きました。

自傷行為は脅迫概念からくるものでした。

許せない自分が居るから、罰を与えてるのです。

罰の痛みが脳内で報酬となり、自分の感情を鎮めているのでした。

そこで、何をどれくらいして、どんな感情に変化しているのか認識する訓練がはじめられました。

カウンセリングメインの心理療法でした。

そこまでは順調だったものの、一体この人を信じていいのだろうかという不安に襲われました。

そこで衝動的にセカンドオピニオンを求めました。

セカンドオピニオンのドクターの説明に納得しました。

それはよかったのですが、不安に対して衝動を起こしていることが問題でした。

精神科とカウンセリングが別々のところだったので、ドクターと心理士の見解が若干違うこともありました。

その度にどちらを信じればいいのかパニックになり、衝動的に両方に確認をとっていました。

予約を変更し、前倒しすることも。。。

予約が出来れば安心なんです。

ただ、カウンセリングの予約が一旦は出来たものの、心理士の都合で、直ぐに変更を依頼されました。

その時、パニックに陥りました。

心理士から見放されたと感じたのです。

頼るところが無くなったと感じたのです。

過呼吸になりました。

不安と絶望で死にたくなりました。

刃物を持っても、紐を首に巻いても、怖くて、死ぬための一歩が踏み出せませんでした。

そんな自分も許せなくてイライラ。

結局その日は食器を割って、割れたことで落ち着きました。

しかし、割った後悔と衝動の恐怖から一睡も出来ませんでした。

仕事へ行くも、様子がおかしいと上司から突かれ、言わずに逃げ切ろうとするも失敗。

上司に話してしまったのでした。

そこから、診断書があればいろいろ配慮がもらえて働きやすくなるという上司の言葉を信じて、職場に診断書を提出することになったのです。

ドクターは診断書を出すと、後々あなたにとって不利になると言って、あくまでも自律神経失調症とまでにした方がいいと情報操作をしながら診断書をくれました。

上司の言葉を信じて提出したものの、即日仕事から外れるように指示されたのでした。

仕事は出来ると主張したものの、受け入れてもらえませんでした。

別の軽微な仕事を振るといったものの、継続的にはなく、手持ち無沙汰な時間を過ごすことになりました。

心理士に職場での待遇を相談し、抗議をしました。

打開とはならず、仕事を失ったことのショックで職場へ行けなくなりました。上司に対しても過剰に不信感募らせるようになりました。

そして、鬱に突入したのでした。


元々の脅迫概念からくる自傷行為の問題より、周りが大事になってしまったのでした。

問題点と答えがズレていってしまったのでした。

全ては衝動が大きく影響していました。


自分と向き合うはずが、自分を陥れる結果になり、鬱を発病したのでした。


2020.4.16.




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