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高い技術はイノベーションの妨げになる

みなさん、こんにちは。
わたしはとある日本企業のサラリーマンです。所属する部署で、2年前まで管理職に就いていましたが、メンタル不全に陥り管理職を降りました。
気力と体力が回復したら、また管理職に復帰してバリバリと仕事に励もうと志してきましたが、最近自分が就いていた仕事を第三者視点で見ているうちに、「なんて非生産的で、非効率な仕事をしていた、もしくはやらされていたのだろう」と考えるようになりました。果たして自分の仕事のどのくらいに意味があるのか、もしくは自分の働き方が効率的なのか、という視点で日々考え、本を読んで勉強するようになりました。まだまだ勉強中ですが、自分の頭を整理する意味も込めて、noteを使ってアウトプットしていきたいと考え、この記事を書いています。


今回参考にした書籍は篠原 信氏の「ひらめかない人のためのイノベーションの技法」です。本書はイノベーションを起こすための様々な技法や考え方を
わかりやすく取り上げた良書です。

モノづくりにおける日米の開発思想の違い


本書では、太平洋戦争当時の日米の戦闘機開発における違いを鋭く指摘しています。
日本の戦闘機である零式艦上戦闘機(略してゼロ戦)は非常に優れた飛行性能を誇っていました。
と同時に、操縦には高い技能が求められました。これには弱点があり、ベテラン操縦士が次々に戦死していくとゼロ戦の性能を生かしきれる人材がいなくなって戦闘力が低下するというものです。
終戦間際、いわゆる「神風特攻隊という体当たり」の発想が生まれたのも性能を活かせるのは熟練者だけという当時の日本が置かれていた状況や思想が影響していると作者は指摘しており、これは興味深い考えだと感じました。

他方アメリカは、熟練操縦士の生命はそのまま戦闘力であるとみなしました。また、高い技術を持った飛行士だけではうまくいかないと考え、技能が低くいパイロットでもゼロ戦に対抗できる戦闘機と戦術を生み出すという開発思想を持ったそうです。これまた、日本人の私には無い発想でした。「パイロットになるにはもって生まれた才能に加えて、血のにじむような努力が必要」と考えてしまいます。簡単に言うと「初心者でもパイロットになれる戦闘機を作ろう」という発想です。
操縦士は何としても生還させる、技能の低い操縦士でもゼロ戦に対抗できる性能を飛行機に持たせる、技能が低くてもゼロ戦に勝てる戦術を取るという条件を満たそう、ということです。
結果として、日本は高い飛行技術を誇る操縦士が次々に戦死して失われたのに対して、アメリカは操縦技術が低くてもゼロ戦と戦える飛行機に乗り、しかも生き残るのでどんどん腕を上げ、操縦技術が高くなっていくという相乗効果が生まれたようです。ついには太平洋戦争開戦当初、日本が圧倒していた戦闘機による戦闘力がアメリカに逆転される結果となりました。 よく考えるとモノづくりは一度完成するとコピーしてたくさん量産できますが、熟練パイロットの養成は数年単位で時間もかかるし、人の命ですからコピーなんてできないですしね。

下手な漁師でも魚が取れる魚群探知機の開発エピソード

本書では、魚群探知機の開発にまつわるエピソードも取りあげています。
腕の良い漁師は、経験と勘で漁場を探り当て、漁獲高を上げていました。腕のよくない漁師はなかなか魚のいる場所を探り当てることができない。
そんな人が魚群探知機の開発に協力していたそうです。ですが、腕の良い漁師から「そんなもので魚が取れるものか、腕が悪いからそんなまがいものに手を出すのだ」とバカにされたらしい。悔しいですね。
魚群探知機の開発は当初難航し、すぐには魚が取れるようにならず、空振りを繰り返しました。ところが失敗に失敗を重ねて改良を続けた結果、ついに漁村でダントツ1位の漁獲高を上げるようになりました。
すると、それまでバカにしていたベテラン漁師たちもこぞって魚群探知機を買い求めたといいます。
もし、腕の良い漁師と一緒に開発を進めていたら、魚群探知機のダメさ加減 ばかり指摘されて、かえって開発は頓挫していたかもしれない。
太平洋戦争当時のアメリカと同じく、下手な漁師でも取れるようにするにはどうしたらよいかという開発思想だったからこそ、魚群探知機の開発は進んだと言えるかもしれません。
作者は「日本はどうも 昔から高い技術が必要な状態のままにしたがる傾向があるらしい。」と指摘しています。

高い技術がなくとも、技術がある人と同等の仕事ができるようにするにはどうしたらよいだろう、いわゆる「技術の民主化、誰でも使える技術を開発する」と発想することにイノベーションの種はあるのかもしれません。

 


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