どうか読んでください、皆様へお願いがあります。

こんにちは。はじめましての方ははじめまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。

鈴木一平と申します。

以前も申し上げましたように、私のブログ「卓球の人生(うつ病になった経緯)」が幻冬舎より書籍化することが決定致しまして、出版にあたり今回polca Lifeにてクラウドファンディングのご支援頂きたく投稿いたします。

具体的な本の内容は3点です。この3点の何処かにご自身が共感できるところがありましたら、長いですがどうが最後まで読んでやってください。

1.16歳で学校、生活、人間関係、家族との軋轢によりうつ病になってしまった事、又うつ病になってでも部活を頑張ろうとした事。

2.小学生の時からやっていた卓球の推薦で強豪の高校に入り、周りとの意識の差や、思うように結果が出なくて葛藤した事や、プレーの詳細、卓球というスポーツの勝負における精神面と技術面。

3.幼い頃から自分は同性愛者である事に気付きながら、それを誰にも言えずに自分を責め続けた事。そして高校1年生に出会った教育実習生に不毛ながらも恋をし、それだけが生きる意味なのだと思っていた事。

この3点です。繰り返しになりますが、何処か共感出来ましたら、最後まで読んでやってください。

今回はこの一つ一つを細かく説明致します。

まずうつ病になった話ですが、私は今30歳なのでもう14年も前の話にはなってしまいますが、16歳で発症してしまいました。一番の原因としては、やはり「頑張らなければいけない」「出来損ないなのだから人よりも努力しなければいけない」と言ったどうしようもなく拭えない固定観念からでした。

そう思うことが正しいと思っていました。頑張る事が、努力する事が、何かを犠牲にする事が正義であり当たり前の事だと思っていました。

しかし、元々私はそう思い込む様に育てられてきた様に、今なら思います。

小さい頃から私は「良い子でいなければいけない」「両親に迷惑かけてはいけない」そう思っていました。事実、私は良い子でした。わがままを言わない、言う事は聞く、一人で出来る事は一人でする。何故なら、両親は共働きで、兄弟も多かったからです。兄弟構成は姉姉私妹です。両親は田舎で国道沿いの少し箱の広い食堂を営んでいます。一階が食堂で、二階が我が家でした。

母は朝早くから子どもの朝ご飯を作り、幼稚園の時は父が車で送ってくれ、小中学生の時はバス登校。子ども達が学校へ行ったら店の支度、帰って来ても両親はせっせと働いていました。仕事が終わるのは21時頃、私たち兄弟の面倒は祖母が見ていました。定休日は月曜日、しかし定休日と言うだけで実際は車で30分ほどの所にある街での食材などの仕入れでした。つまり、両親の休みはありませんでした。

そうすると必然的に、両親と遊ぶ事は全然ありませんでした。幼稚園に上がった頃には一人で寝ていましたし、食事も一人か祖母と食べる事が多かったです。小学2年生から始めた卓球も暖かい時期は自転車で通い、雪や雨の日は父の出前ついでに送ってもらう形でした。そして卓球の試合や大会を両親が観に来た事は一度もありませんでした。周りは母親が付き添う事が多かったですが、私の家は日曜が稼ぎ時でしたのでそれは無理な話なのだと子どもながらに分かっていました。

幼い頃、夏休みや冬休みなどの長期の休みがあると店が忙しくなり私たちの世話が出来ないので、私たち兄弟は伯母の家に預けられました。淋しくなかったと言えば嘘になります。しかし、それも仕方のない事なのだと思っていました。あと何度寝れば家に帰る日になるかとカレンダーを見つめる日々でした。

こうして、良い子が出来上がりました。

そして、私は10代の頃は人と馴染むことの無い人間でした。友達が全くいませんでした。22歳に分かったことなのですが私はアスペルガー症候群と言う発達障害を持っていたのが大きいかもしれません。人の気持ちが分からないのです。友達と遊ぶ事より本を読む事の方が遥かに楽しかったのです。そうするといじめに限りなく近いイジリがありました。何故馬鹿にされなければいけないのか分かりませんでしたが、苛々したり、悲しく思ったり、自分には誰もいないのだと孤独も感じました。

だからこそ卓球を頑張りました。頑張って全国へ行ったりなど結果を出せば周りが認めてくれたからです。褒めてくれたからです。自分は良い子なのだと実感出来たからからです。

その糸が、16歳のある事件で切れてしまったのです。

毎日の様に泣きました、眠る事は出来なくなりました、食べる事も出来なくなりました、何も楽しみも無く、生きる事に意味を感じなくなりました。

しかし、自殺は出来ませんでした。それは、両親が悲しむからです。だから私は毎日の様に神様に祈りました。「俺は最初から生まれてこなかった事にしてください。」と。存在を消してくださいと願いました。絶望しかなく、秒針が進む事が、風が吹く事が、地球が回る事が、誰と顔を合わせる事が、恐くて仕方がありませんでした。それが私のうつ体験です。良い子だったはずの私は引きこもりになりました。しかも両親のもとではなく、一人暮らしで。両親に会いたくなかったのです。もう誰も彼も私を見ないで欲しいと思ったからです。

こう言ったうつ病になっていく過程やきっかけなどを本に綴ります。

次に卓球についてお話します。

昨今卓球は日本でも大分メジャーなスポーツとなりました。Tリーグと言う2016年12月10日、オリンピックに向けた選手の強化や卓球を人気にしようと出来たリーグです。サッカーで言うJリーグの様なものです。これは福原選手をはじめ、水谷選手、丹羽選手、石川選手、伊藤選手、張本選手達の頑張りのお陰です。ちなみに私は松平健太選手が好きです。しゃがみ込みサーブからの前陣のブロックやカウンターは見ごたえがあります。先日はみまひなダブルスの疑惑が話題になりましたね。

これは決して卓球に限った話ではありませんが、卓球はとても繊細かつ「速い」スポーツです。球技の中では速さ、つまり反射神経や動体視力、瞬発力や判断力がトップクラスに必要なスポーツです。回転、コース、読み、作戦、そしてメンタルが大きく関わってきます。

1セットの11点を如何に相手より早く取るかが勝負なのですが、駆け引きが非常に大きいです。どのサーブでどう動くか、大切な1点が欲しい時の思い切りや粘り、流れを変えたい時の集中力。たった1点の失点や得点でも、その1点がどうやって取られたものなのか、又は取ったものなのかが重要な時もあります。ファイナルセット9-9の場面で一番必要なのはやはり精神力ですね。

戦型も色々あります。主流なのは裏裏ドライブマンですね。これ一つにしても後陣で粘る戦型もあれば、前陣で打点速くカウンターする戦型もあります。表ラバーで前陣速攻型もありますし、相手のドライブをカットで拾い粘るカットマンと言う戦型もあります。

かく言う私は少し特徴的な戦型でした。

カットマンなのですが、カットマンは殆どの選手がバックラバーを粒高にしています。しかし私はフォアもバックも裏ラバーでした。そして大抵のカットマンは後陣のフォアドライブカウンターをするのに対し、私は攻撃の時は前陣速攻でした。打点の速い攻撃をしていました。それが私の持ち味でした。

しかし、高校で強豪校に入学しましたがそこにはやる気の無い部員であふれていました。一年は朝7時までに部室にいなければいけないと言うくだらないしきたりがあったのですが、その時間にサーブ練習をしていたのは私とエースだけ。他の部員は漫画読んだりトランプで賭け事をしていました。結果を出していたのも、エースと準エースと私の三人。この三人以外は「ただの部活」としか考えていなかったのです。

当時、チャックと言うラバーのスポンジを膨らませ、反発力や回転力を出すグルーがあったのですが、それを塗ったところで結果なんて出ないので塗るのを辞めたと言う先輩部員が数人いました。私が投げやりになってはいけないと言うと「俺らはお前とは違うんだよ。」とトランプの賭け事をしながら言われた事を今でも印象深く覚えています。

ただの部活でやるくらいなら私立の強豪校に入らなくてもいいのにと、親に金かけさせておいてやる気ないなんて信じられないと私は思っていました。しかし後輩である私は笑って済ますしかありませんでした。

実は私の入った高校は個人戦では優勝者を輩出しているのですが、団体での優勝はもう十数年していなかったのです。なのでエースと私は団体で優勝しようと誓っていました。

その結果がどうなるかは本に綴ります。

最後に同性愛についてお話し致します。

皆さんはLGBTと言う言葉をご存知でしょうか?これはL(レズビアン)G(ゲイ)B(バイセクシャル)T(トランスジェンダー)の四つの頭文字を並べたものです。レズビアンは女性の同性愛者、ゲイは男性の同性愛者、バイセクシャルは女性も男性も好きと言った両性愛者、トランスジェンダーは自分の身体と自分の性自認が異なっている方、そう言ったセクシャルマイノリティーの総称がLGBTと言う訳です。

自分の性的指向を自覚する時期も人それぞれです。大人になってから自分はそうなのだと認める方もいます。私は逆に早かったです。5歳には自覚していました。その、自分がゲイである事に気付いた時、真っ先に思ったのは「これは秘密にしなければいけない」でした。語弊を恐れずに言うのなら、当時は「自分は普通じゃないんだ」と思い詰めていました。

今はニュースでもLGBTの話題は耳にすることも少なくないと思います。色んな議員の差別的な発言だったり、同性婚は憲法に反しているから認めないとか、同性愛パートナーシップが渋谷区や世田谷区などで導入された事などがありますが、それでもLGBTを知らない人、会ったことのない人、理解しようとしない人は一定数存在します。しかしLGBTの人が黙っているだけでLGBTの割合は人口の約8.0%、13人に1人の割合で存在しています。思ったよりも多くありませんか?この8.0%の人々は多かれ少なかれ面倒な思いしているのです。自分の性的指向に悩んだりするものです。

私もどんなに女の子と仲良くしても、可愛いなと思っても、自分が目で追うのは男性でした。自分がゲイであることを大学生になるまで誰にも言えませんでした。それは正直辛かったです。周りに嘘をついている罪悪感が毎日の様にあるのです。そして、男性を好きになっても、その思いは実らないし言えない事が悲しかったです。何故自分は恋をしても意味が無いのに恋をしてしまうのか、どうしてこんな風に生まれてきたのか、呪いました。

そんな中、高1の初夏にある教育実習生と出会いました。勿論その人はゲイではありません。しかし、好きになってしまったのです。好きになって、楽しくなって、全てが輝いて見えました。その先生と話す事が多くなり、仲良くしてもらっていました。その先生の部活は柔道なのですが、私のインターハイ予選の応援に来てくれました。

その時私は初めて、大切な人の応援を受けながら戦うのはこんなにも楽しい事だと知りました。お陰で良い結果も出ましたし、労いも頂きました。しかし同時に失う恐さも覚えました。教育実習なんてものは期間限定で、先生が応援してくれるのはその日が最初で最後でした。先生がいなくなった学校なんて行きたくないと、また淋しい思いするのかと、孤独と苛立ちと焦燥と虚しさにあふれた日々に戻るのが恐くなりました。

しかしその先生は私に約束したのです。

「個人戦で全国行くか団体で優勝したら連絡しろ、飲みに連れて行ってやる。」

と。その約束の為だけに頑張り続けました。その約束があったからこそ生きていけました。どんなに辛くても、どんなに味方がいなくても、困難な場面でも、先生に会いたいが為に頑張りました。

その結果、報われたか報われなかったかは本に綴ります。

と、以上この3点で構成されております。この「うつ病などの心や脳の病」「東京オリンピックで期待されている卓球」「LGBT当事者が思う事」が中々今現在の日本にとってニーズがあると幻冬舎より判断されまして、書籍化に至る。と言った訳です。

そして、私としては一人でも多くの方に知って頂きたいのです。

うつ病などの病の孤独を。

卓球の奥深さを。

同性愛でも立派な愛なのだと。

本と通して発信したいのです。少しでもこれらに当てはまる人たちの苦悩や葛藤や生き様を広めたいのです。

書籍化にあたり、150万の費用がかかります。正直安いと言える金額ではありません。

どうか、今回の私の拙い文章で少しでも共感して頂けるようでしたら、お手数なのですがpolca Lifeをアプリで取得して頂きまして、ご支援していただけませんでしょうか?

切に、切に願います。どうか宜しくお願い致します!

追伸、「卓球の人生(うつ病になった経緯)」は30以降殆ど非公開としております。ご支援の際にコメント頂けましたら公開致します。

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