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コンプレックスとその後

今でこそ自分を普通だなんて言える普通の理系大学生も
以前は人と比べては自分が普通以下だと自信を無くしてばかりいた

小1までの自分は交友関係も狭く、人に興味もなかった
学校に行けば友達がいるけど、学校外で友達と遊ぶほど社交的ではなかった

小2になって、近所の友達とよく遊ぶようになった
しかし、人と一緒にいると、どうしても人と自分を比べてしまっていた

近所にいた友達はみんな足が速かった
自分も速くなりたいと思った

バレンタインのチョコをたくさんもらってる奴がいて、
なんか知らないけど、恋愛なんてものに興味もないくせに羨ましかった

みんなは自分以外の友達もいるのに自分の交友関係は狭くて物足りなかった

いつもみんなの中心にいて、人を誘うのはもちろん、みんなから誘われてる人を見て憧れた

友達は親同士も仲良くて遠出してたのに、うちの親は仲良くなかったのか、めったに誘われなくて残念だった

ぜんぜんゲームを買ってもらえなくて、みんながやっているのを指をくわえて眺めるだけのみじめな何百時間があった

くせ毛は嫌だったし、二重に生まれたかったし、足は長く、首は細くありたかった

見た目だけじゃなくて、記憶のある時からともにある片頭痛には何度も苦しんだし、目がよかったら眼鏡もかけずに済んだのにと理想に駆られていた

成長期が早く、人より低い声が大嫌いで、組体操で下になるぐらいだったら身長なんて小さくなればいいのにと夜寝るたびに願った

いとこと仲良しなんていいなぁと思った

親戚が多くて、たくさんお年玉をもらってる友達がいてずるいと思った

ディズニーやユニバのお土産をもらうたびに温泉地やキャンプ場にばっかり連れていく親に交渉を持ち掛けた

車が1台しかなかったので、すぐに送り迎えしてもらえない状況に何度も我慢をしていた

どれも「きにすんな」と言いたいようなことだけれど、その当時は本当に悩んでいた

解決していったこと

足が速くなりたくて、マラソン大会に向けて毎晩練習を重ねた
いつしか学年のトップ10に入れるほどに成長した
目標としていた友達には到底敵わなかったけど、
十分に努力した自分に初めての満足感を覚えた
努力次第で実現できることもあると知った

小4の頃にある出来事をきっかけに急に交友関係が広まった
10年も昔の話なのにいまでも鮮明に覚えている
1月24日、僕が最も大事にしているといっても過言ではない日

ある一つのあだ名をきっかけにして、今まで一人もいなかった他学年の知り合いが急激に増えた

翌年には上の学年にも、下の各学年にも各10人ずつぐらい仲のいい知り合いがいるぐらいだった
先輩や後輩と仲良くする能力もこの頃についたものが大きく今の自分に作用している感じがする

こうして、ちょっとだけ友達が少ないというコンプレックスは解けたように見えた
でも、それは見せかけでしかなく、結局あったらおしゃべりする友達が何十人増えようと、いっつも遊んでいるメンバーは固定でバラエティ豊かになるわけではなかった
だからそいつらと喧嘩した日には明らかにへこんで、親からも心配された

時は流れてバレンタインデー
初めていわゆる本命チョコをもらった
言葉も紙も一緒に受け取ったのに、気持ちを受け取る気にはならなかった
あんなにチョコをもらってる友達がうらやましかったのに
いざもらってみるとどうしたらいいか分からなくって
なんか回りくどい紙でくだらない言葉を返してしまった気がする
ごめんなさい

さらに人生が一変した日のことも鮮明に覚えている
小5の終業式の日の午後のこと
これが3月24日だと確信している自分のキモさもさることながら
近所の友達意外と初めて遊ぶことにドキドキしていたことを覚えている
正直、1年間同じクラスだったのにあんまり関わってこなかったメンツばかりで行くかどうか迷っていた
それでもその日に勇気を出せた自分を何度褒めても褒め足りない
むしろ感謝すらしているかもしれない

そこで遊んだ仲間の多くが翌年のクラスでも一緒になった
ここから一緒にいて本当に楽しいと思える友達がどんどんと増えていくことになる
みんなとの出会いに恵まれていまはそれに関する悩みはほぼなくなった

初めての彼女ができた
正直あの頃は付き合うことが何なのかを大して理解してなかったんじゃないかと思う
初めてなんだからしょうがないといえばしょうがないし、小学生なんてそんなものなのかもしれないが
こんなにもコンプレックスで満ちた自分に、好きだと言ってくれて
そのコンプレックスの量を減らしてくれる人がいるのだなぁと思った

中学に入るとテストで順位が決まった
初めて自分の得意分野で輝けるときが来た
そんな幻想も3年経つと終了してしまうので
人生100年時代の期間限定商品としては割と短命な方だったのかもしれない
それでも一つ自分のいいところではあったのかもしれない

中学になると多くの人が声変りをしたので
低音コンプレックスは軽減された
とはいえ新しい悩みも増えた
カラオケに友達と行くようになって超歌下手コンプレックスが開花してしまった
これは今も引きずっている

願いが叶ったのに、理想も変わったがゆえに形を超えてコンプレックスが残ってしまった例が身長だ
早すぎた成長期に、一時は背の順一番後ろで嫌だったのに思い返せば不本意にも願いが叶って前から数えた方が早くなってしまった
ホントにとんでもないわがままなんだけど、これだけはもうどんな努力も無駄かもしれない
困ったものだ

コンタクトという新アイテムで脱眼鏡の実現にこぎつけた
目の中にレンズ入れるとかいう狂気じみた発明をした人本当に天才

多くの友達ができたことで分かったこともたくさんあった
親に対して不満ばかり言っていた反抗期も超えて、うちの環境は実はとても良かったんじゃないかと思えるようになった
けっして人の家と比べてっていうわけじゃないけど、みんなのうちのいいところばかりに目がいっていたような気もするし、今なら自分の両親のいいところをたくさん言える気がする
簡単に言えば感謝できるようになった
これもまた一つの成長なのかもしれない

片頭痛は病院で精密検査しても原因不明で今でも付きまとってくるけど、人にはアレルギーやら花粉症やら生理痛やらそれぞれの弱点があることは割と
当たり前みたい

縮毛矯正という技を覚えた
レーシックというチートも使った
世の中お金で解決できることもあって
自分が稼ぐことでそれを実現していけるという自由に気づけた

こうなってくると身長と並んで金で解決できないない最新の悩みはお酒が飲めないことかもしれない
もうここら辺はというか全体的に遺伝子は結構恨んでるよ
誰になんといったってどうしようもないんでけどね
今日も厚底履くしかないんでしょ

まとまらないまとめ

10年の時を経て振り返ってみると、解決されたことも気にならなくなったコンプレックスも多くある。完璧じゃなくたっていい、誰にだっていいところ悪いところあるじゃないかって割り切れる心になれたことが一番自分を救ってくれているみたい。そしてそう思えたのは、ほんのちょっとの自分の勇気や努力と出会ってくれた多くの人に与えてもらった環境のおかげなんじゃないかと思う。きっと今のみんなに出会ってなかったら、もっと卑屈なままで、いまでも楽しくない毎日を送っていたのかもしれない。

人と比べる必要はない。わかってはいるけど難しい。そりゃあキラキラした人を目の当たりにすれば、自分なんて…と感じてしまうこともあるじゃないか。人と比べてしまうのはある意味当然の心理で、競争社会においては完全に避けては通れないと思う。でもこの世界がこのままよりよくなっていくためにも僕は競争という人間の心理を否定したくはない。だから、完璧じゃなくていいと思うことにした。薄いかもしれないけど、人それぞれ得手不得手、長所短所あるのだから全ステータスがフルじゃなくたっていい。結局今の自分が自分に満足できていれば、誰かに何かを言われる筋合いもないし、自由に生きていけるのだ。だから視野を広く持って満足のハードルを少しだけ甘めに設定して、自分を満たしてあげとく。あんまり上ばっかり向いて疲れちゃうような自分にはこのぐらいがちょうどいい。

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