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vol.20:2週間コロコロしている間にインスタの動画がバズっていた件

障害者家族エッセイストの川島田ユミヲです。

2月の半ばに弟のきよはるが発熱→続けて私が発熱→PCR検査が陽性で、トータル2週間ほど通常生活からのお暇(おいとま)させて頂いておりました。どうも、川島田姉弟 a.k.a. コロコロチキチキブラザーズです。

…なんてエッセイを隔離期間中に書こうかと、1週目にはあれこれ下書きを残しておりましたが、生活における制限があったり、キヨの体調管理と共に自分の体調の変化を気にしていると、何にもやる気になれませんでした。

現状、私はほんの少しだけ嗅覚がおバグりになっておりますが、徐々に回復しております。
ハナノアで鼻洗浄して鼻の通りがよくなっても匂いを感知できないのは、ちょっと焦りました。色々調べて「嗅覚刺激療法」というのが良さそうだな、と思い実践したので、共有させて頂きます。アロマオイルはラベンダーとゼラニウムを持っていたので、朝晩フガフガしてました。

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さて、表題にもありますが、この2週間で最も驚いたのは、まだコロナにかかる前の2月10日の朝の動画。

↑これ、リンクはTwitterですが、同じ動画同じ文言をInstagramのリールにUPしたんですね。
インスタの方は再生回数が1日か2日で3,000回ぐらい超えていたし、リールってフォローしてない人でも自分のTLに流れてくるので

「ほ~~、リールって需要あるんだな~~~~」

と思ってました。

2週間経って、なんかインスタのアカウントをフォローされる数がいつもより多い…?あっそういえばあの動画、いまどのぐらい再生されてるんだろう…?と思ってページを開いてみると

オッタマゲーター。笑


因みにこの土日を越えて、3月1日現時点の再生回数はその倍以上の

3.4万回

になっている。笑
いや嬉しいけど、すごいね。何が起きてるの…?
うちの弟のかわいさが、世の中に気付かれ始めたって事?←

バズるの定義って正直あんまり理解してないし、実際についているいいねの数は100にも満たないけれど、多分ひとつの動画がそんなに再生される事は初めての出来事なので、まあ、ちょっとぐらい浮かれてもいいよね。

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なので、インスタのリールを経由してここまでたどり着いて下さった初めましての皆々様、どうもありがとうございます。

元々は「イッパイアッテ奈(ナ)」という複数名で投稿するプラットフォーム内プラットフォーム、を、一人でペンネームを使い分けて執筆していこう、と思っていたのですが、川島田ユミヲだけでもまともに書けてないのに人格分けるとか高望みが過ぎるな、と思い、途中からは「川島田ユミヲのエッセイを書くnote」になっています。笑

コッチは弟の自己紹介。まあ、私が書いているから他己紹介ですね。

↑エッセイをまとめてあるマガジンです。タイトルの意味はvol.1に記載しておりますが、
「私は〇〇障害です」「発達障害の家族がいます」「障害者手帳を持っています」など、SNSのプロフで見かける事ってありませんか?
これは私も「重度知的障害の弟がいて、二人三脚の生活をしています」って掲載していますが、同じ環境で悩んでいる人たちが繋がり合いたいとか、不規則だったり不安定な発言は障害によるものです、とか、それぞれに色んな意味合いを持っていると思うんです。

平成から令和になるまでの間に、病気や障害の名前や種類が非常に細分化されてきましたよね。多様性や共生社会を、より尊重する世の中にもなってきたと思います。
でも、障害者と括られる人たちと、病気や障害がなく暮らしている人(あまり使いたくはないですが、所謂 “健常者” )との壁のようなものは、昭和だったりそのもっと前の時代から、なかなか取っ払う事はできません。

障害者家族として、きょうだい児として、ヤングケアラーだった学生時代を含めて私が感じるのは、
「障害を持っている人たちは大変ですよね」
と言われる事が多いけれど、私からしたらそうでない皆さんの方が、やれ人間関係だったり仕事に追われていたり、ハードルめっちゃ多くないですか?と思うのです。

これは決して障害がある事にあぐらをかいているわけではないのですが、私たちは出来ない事を「NO」と言えるし、言わなければ迷惑をかけてしまうケースもあり、「NO」と言わなければ生命の危機に関わる事象だってあるわけです。
でも、そうでない人たち、所謂 “普通に暮らしている人たち” は、自分が「NO」と言ってしまうと人間関係に亀裂が生じてしまう、とか
「NO」と言う事によって順調に進んでいたプロジェクトがストップしてしまう、そんな悩みや、時には怒りも抱えて我慢して生きている人の方が、多くないですか…?

大変なのは障害者とその家族だけではないんです。どちらにも、誰にでも、大なり小なり「大変」な事がある。ハードルがある。
もう障害の有無だけで人種を分ける時代じゃない。むしろ、世の中全員 “障害者” でいいじゃない。

そんな意味を込めて、つけたタイトルです。

過去の記事もお時間があるときにお読み頂けたら、嬉しいです。

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最後に、ちょっと2週間の療養中の出来事を。

これは2020年に新型コロナウイルスの混乱が始まった頃から思っていたんだけど、私と弟のきよはるの場合は “どちらかが感染しても現行のルールに従うのは難しいものもある” という事。

上記リンクの弟の紹介の記事にも書きましたが、きよはるはてんかん発作の持病があり、睡眠のバランスが崩れてしまうと悪化してしまいます。
平日は通所施設に通っていますが、自宅にいるときはTVを観ながら居間でゴロゴロ、放っておくといびきをかいてぐーぐー寝ている事が多いです。
なので、通所施設が休みの土日祝日は、少しでも散歩しないと自宅でずーっとTVを観ながら居間でぐーぐー寝てしまう。そうすると夜眠れなくなるのかと思いきや、夜もちゃんとぐーぐー寝れちゃう。寝過ぎる事で、睡眠のバランスを崩す要因になってしまうのです。

そのためにできる事は、できるだけ日曜日は車を使わずに、徒歩や公共交通機関を使った外出をする。トータルで7,000歩~10,000歩あるく。そうすると夜ぐっすり寝てくれて、転倒で怪我をするような発作を回避できます。

そんな我々なので、キヨとの二人三脚の生活で完全なる隔離は無理ゲー。

キヨが発熱した初日は外を歩くのもしんどそうだったので、車で発熱外来に行くだけに留めて、自宅でのんびり過ごしていました。というか、ゴリゴリに寝ていた。昼寝と夜寝トータルで、15時間前後は寝ていたのかもしれない。

やはりその睡眠が影響したのか、翌日朝。
てんかん発作で立ったまま後方に倒れ、脳しんとうを起こしたような状態になりました。
呼びかけには目で反応するものの、1時間ぐらい自力で起き上がれず、頭を打ったつむじの横らへんには少し血が滲んでいる。ネットで調べてアイスノンで患部を冷やしながら、

#7119(東京消防庁救急安全センター)に電話をしながら、重度知的障害があって喋れない事、転倒してからの状態、前日に発熱していて尚且つPCR検査の結果がまだ出ていない事などを伝えて、受診できるかもしれない病院をいくつか紹介してもらった。

冷静に、私はとにかく冷静に、と思っていたので取り乱したりはしなかったけど、何度か通話オペレーターの方に「落ち着いてください」と言われんばかりに会話を遮られたりもした。発熱しているというだけで診てもらえるかどうかもわからない、受診できなかったとして時間が経って容態が急変したらどうしよう、くも膜下出血とか硬膜下血腫とか…などなど、猛スピードで色んなリスクが頭をかけ巡る。

1時間以上経ってもキヨは起き上がって来ない、というかむしろいびきをかいてぐーぐー寝ている。この状態が果たして良いのか悪いのかもわからなかったので、とにかく病院を…と、てんかん発作のかかりつけ医含め各所電話していたが、殆ど断られてしまった。こればかりは致し方ない。だって発熱しているんだし。
1軒だけ「折り返しお電話します」と言われた病院からの電話を待つ間、休んでいる通所施設から健康観察電話があり、iPhoneのデフォルトの着信音が鳴り響いた。

ガバッ!!


キヨ、飛び起きる。
それまでの意識混濁や爆睡をすっ飛ばして、何事もなかったかのように飛び起き、施設に行こうとカバンまで持ち出した。

いやいやいやいやいや!!(ツッコミ)


もうよくわかんないけど、すごいな君の治癒力は。
発熱症状の健康観察なのに、それ以外のトピックスが多い報告電話になった。
その後、折り返しの電話がかかってきたときに

「もう意識はありますし、元気に歩き回っていつも通りに過ごしております…」

とお伝えしたら

「それならば、今すぐに脳神経外科にかからなくても大丈夫かもしれません。もし時間が経って急変したら、迷わず救急車を呼んでも良いかと思います。」

との事。
発熱症状以外にも、日常的な変化も慎重に見なければいけなくなってしまった。そしてこの時点で、もし陽性でも自宅隔離は完全に無理ゲーだとも悟った。

なのでこの2週間は、なるべくなるべく人通りが少ない道(どちらかと言うと車好きなキヨが退屈しないように車通りが多い道)を、5,000歩~7,000歩目標で、だいたい1時間半ぐらい、日中は散歩に出かけていました。

「周りの人にうつすかもしれないリスクがあるのに!」
「陽性の人たちはみんなちゃんとルールを守っているのに!」

という、実際には聞こえてはいないけど世間一般の声がずっと私の頭をかすめる罪悪感と、こちらはそのルールに従っていたら別の意味で命の危険があるんじゃい!という信念の狭間にいた2週間だった。

もう弟に痛い思いはさせたくないし、できれば長生きしてほしい。

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偶然、この脳しんとうがあった夜、私がいつも聴いているTBSラジオ「アフター6ジャンクション」という番組で「映画とろう者」についての特集があった。内容はこんな感じ。

最近の海外映画で、耳の聞こえない人「ろう者」が登場する作品が増えてきています。「コーダ あいのうた」・「エターナルズ」・「サウンド・オブ・メタル」などなど。
なぜ今、ろう者の登場人物が増えてきているのか、ろう者の俳優がろう者のキャラクターを演じるようになった背景とは。
今回は「映画とろう者」、「映画と手話」についての特集です。解説してくれるのは「東京国際ろう映画祭」主催者で映画作家の牧原依里さんと「東京国際ろう映画祭」の海外交渉スタッフの湯山洋子さんです。(20:03~20:50頃)

Spotifyページ概要より

この特集はZoomを使って、ろう者のキュレーターおふたりとその手話通訳者おふたり、スタジオにいるパーソナリティーとアナウンサーが全員別々の場所から情報を届ける、という斬新な企画だった。

その中で、キュレーターの方の言葉がとても印象的だった。

「コーダあいのうたを観て、キャストにも実際のろう者を起用しているのはとてもプラスの側面だったけど、見せ方としてはこれは “健聴者のための映画” だな、と思いました」
(健聴者という言葉はあまり使わないらしく、所謂 “健常者” と同じ感じです。実際の言い訳としては “聴者” だそう)

これを聞いた時に、ああ今私とキヨが置かれているこの状況って、きっとそういう事だな、というか。所謂、世間一般の人たちは自宅から一歩も出ずに隔離する事はできるかもしれないけれど、その世間一般の人の視点で作られたルールでは、難しい人間だっているんだよなぁ、と。

障害を持っている人もそうでない人もボーダレスに生きられたらいいのに、と思っているので、私たちサイドも「世間一般の人」とか「健聴者・健常者の視点の」という言葉を使ってしまうのは、正直やるせないというか寂しい気持ちもあるのだけれど、まだまだ歩み寄る必要があるんだな、とも感じています。

私たちが生きている間に、果たしてどれだけの距離を縮められるのだろうか。
もしかしたら生きている間は難しいのかもしれないけれど、それでも私たち姉弟は私たちらしく、いつも健やかに笑顔で暮らしたい。それを見てフラットに接してくれる人たちが周りにいれば、そういう人たちがどんどん増えて広がってくれたなら、少なくとも自分たちの世界は変えられるんじゃないか、生きやすくなるんじゃないか、と思っています。

<完>

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最後までお読み頂きありがとうございました。
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ハードルがあるのは障害者だけじゃない。「私たちは健常者だから」と言うそこのあなただって、職場や家族間での対人関係だったり病気したり大変な事(ハードル)が沢山あるでしょ?という意味で、エッセイのタイトルは「世の中全員、障害者。」と言います。おススメ&サポートして頂けたら嬉しいです。