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10歩も100歩も譲る娘。


ぽんこつママいっぱちの娘は
とにかく謙虚。

気遣い上手で人の心を読むのが得意。
多くを語らなくても状況から
察して瞬時に最適な行動・言動に移る。


0歳の時から気遣い?

生まれて6ヶ月くらい経った頃だろうか。

赤ちゃんはとにかく
お腹が空いたとか、暑い、寒い
痒い、痛い、オムツが不快とか
寂しい、怖い、何でもないけどなど

様々な事情で泣くと自分は思うけど

娘も最初のうちはよく泣いていた。


1歳9ヶ月年上の息子(お兄ちゃん)が
こだわりが強く癇癪を起こしたり
非常に手を焼く子育てをしていた。
(ボールペンをレンジでチンしたり💦)


いつも息子の世話に追われていて
娘のところに辿り着いた時には
既に諦めて指しゃぶりしながらふて寝
する娘。

今思うとこの頃から
ママに負担をかけないようにと
気遣いを学んでしまったのかも。

少しは泣いても
グズることもなく
とても育てやすい子だった。

5歳、パパに救助を求める

夫は週6日、仕事で早朝から深夜遅くまで
不在でほぼワンオペ育児。

その頃は自分も仕事をしていたから
子育ては行き届かず
娘はかなり苦労したと思う。

息子のこだわりの強さから
四苦八苦する毎日だった。

最近になって夫から聞いた話だと
家出する直前の5歳の時、
夕方6時頃に夫の携帯に娘から電話が
あったらしい。

夫『どうしたの?』

娘『パパ、早く帰ってきて。』

夫『うーん。ごめんね、なるべく早く帰るよ。』

最初で最後の娘から夫への電話だった。

5歳でスマホを触れたのか
今となっては不思議だけど
緊急事態だと思って出来たのか。

夫は電話が来たことを覚えているけど
娘はもう覚えていない。

家出して施設で2年

娘が年長さんになる12年前の4月に
夫の家を家出した。

シェルターで3週間過ごした後
母子自立支援施設に入所し
2年過ごす間、保育園を2か所、
現在の家に引っ越すまで小学校を2校
通い、転校でHSCの娘にとって
相当苦労をかけた。

この間に娘は白髪が生え始めた。

1、2本くらい出始めたくらいだったから
あまり気に留めてなかったけど
現在高校3年でいっぱちは3本程度
なのに対して娘は30本以上
白髪が生えていて
メッシュみたいになってる。

シェルターに3週間いた時、特殊な環境で
保育園にも行けず暇つぶしにポケモンの塗り絵の紙をもらい、色鉛筆を借りて100枚以上
塗り絵をやっていた娘。

10歳、不登校

女の子は10歳頃から母親とは違う人間
なんだって思い始めると何かで読んだことが
ある。

自分は娘との境界線がなく
自分と同じだと一括りに考えていたから

娘は何が好きで
嫌いで

何がしたくて
したくなくて

娘の思いや考えを
聞いてなかったことに
気づいた不登校。

不登校は反抗期で
よくある反抗期だと親に
くそババア!!とか暴言吐いたり
すると思うんだけど、

何かしらの事情で不幸なお母さんだと
親に当たれなくて
引きこもる、という話を何かで読んだ。
(不登校真っ只中の時は、あれこれ本を読んだり講演会に行ったり、自助会に参加したりと様々なインプットが多くどこの情報だったか記憶がない)

じゃあ!当たれるお母さんになろう!
幸せなお母さんになろう!
くそババアと呼ばれるよう頑張るぞ!

したい放題
思うことを言ったり
やったり
嫌なことを辞めたり
心地よいことを優先する
生き方に変えていくきっかけをくれた娘。

反抗期?

結局くそババアと呼ばれた事は
一度もないけど
中学生の時は息子に当たるようになり
暴言を吐かれたのは息子だけだった。

自分とはあまり話をしなくなった。
娘が話してきた時は全力で受け止めて
話を聞くけれど

こちらからは干渉しないように
なった。

口うるさく干渉されたり
心配されたり
何度も同じことを言われることが
嫌な娘。

一度言えばわかる子。

自分の意志を強く持っていて
絵を描くことが何より好きでひたすら
モヤモヤすることがあっても
なくても

絵を描き続ける娘。

手芸も好きみたいだったけど
絵が何よりも楽しかったみたい。

中3でココナラでイラストの販売を
始めたらすぐ依頼が舞い込んで
あれよあれよという間に
売れっ子イラストレーターに
なっていた。

店員さんにも気遣う

中学3年まで不登校だったけど
いつからかわからないけど

コンビニや郵便局、スーパー
どこでもサービス業の店員さんに
お会計終わった後、深くお辞儀して
『ありがとうございます』と
挨拶する子になっていた。

娘から聞いた話だと
中学時代、別室登校していた頃とか
道で合う人皆んなに『おはようございます』
と挨拶していたらしい。


近所のおばあちゃんにも
『お宅の娘さんはきちんと挨拶してくれて、お母さんの育て方が良いんだなと思った。』
と言われたこともある。

道も近くにいた人に譲るし
何かの順番で並ぶにしても先を人に譲る。

母親であるいっぱちにも
とにかく先を譲る娘。

自分はそれがわかってるから
なるべく娘を優先する。

丁寧に大切に扱うし
そのように扱われたいとも
思ってる娘。

誕生日の祝い

娘のことを考える余裕がなく
うっかり

いっぱち『やばい!今月もまだ半月なのにピンチだわー!』

と発言してしまった。
父の日も節約しようとして不発に終わり
父の日の記事はこちら↓

父の日からまもなく娘の誕生日が
近づいてて、夫は何も考えずに

夫『◯◯、誕生日どこ食べに行きたい?』

娘『別に食べたいものない。』

自分はそこで、お金がないと
騒いでる母親を気遣って食べたいもの
を言わないんだ、と察した。

2人になった時に

いっぱち『誕生日、食べにいくのと家で食べるのどっちがいい?』

娘『家で食べたい。』

いっぱち『何食べたい?』

娘『お金無いって言ってるし。本当何も食べたいものない。』

いっぱち『誕生日はちゃんと別に分けてあるから大丈夫だよ。』

娘『食べたいものないもん。ただケーキは食べたい。』

いっぱち『ごはんはわかった。自分の作りたいもの作るね。ケーキはどんなやつがいい?』

娘『フルーツ系。』

いっぱち『好きなフルーツタルト?』

娘『うん。』

食べたいものを言わせなくしてしまった。
自分のうっかり思ってることを
言いすぎて娘に遠慮させてしまった。

しかしケーキのおねだりを
してくれたことが嬉しかった。

それならご飯は自由にごちそうさせて
もらって娘の希望のフルーツタルトを
全力で優先しようじゃないか!
と切り替えられた。

あまりしつこく食い下がって
ごはん、ごはん言っても
娘も迷惑だろう。


プレゼントは娘の欲しがったイラストに
関するデザインや配色、体の動きなどの参考書
計6冊と夫から娘の欲しがったリュック。

母と娘って距離感、難しい

日中、急に掃除スイッチが入り
洗面所、ミニベランダ、キッチンと
夢中になって掃除が始まった。

洗面所で断捨離して
使ってないムースや古くなった
ボディクリーム
ムダに多いタオル
を捨てていたところ

娘が帰宅して
雨で濡れて寒いからシャワーを
浴びるという。

いっぱち『ごめん片付けてて邪魔しちゃって。』

娘『私の方が邪魔してごめん。シャワー浴びたいとか言って。』

いっぱち『濡れてるんだからいいんだよ。』

娘『何?止められないの?』

いっぱち『うん、なんだかね。』


急に掃除スイッチ入ってる母親を
察して普段掃除なんてあまりしないし
午前中は寝てばかりいたから
病的だと感じたのだろう。

娘は繊細で壊れやすい薄いガラスの
ような存在。

傷つけないように
丁寧に扱うよう心がけなければ
娘はすぐに心を閉ざしてしまう。

踏み込み過ぎず
適度にたまに先回りして
手伝うこともしちゃうけど

基本的には
娘に要求されなければ
こちらから手足口出ししない。

よっぽど転びそうな時は
声かけしたり注意を促したり
するけれど。

自然と放っておく。

娘との距離は難しい。
妙に近すぎるときがあって
自分が疲れることもあるし

自分は何ともなくても
娘が疲れてしまうこともある。

必要な時は頼ってくれてるから
今はこれでよしとしよう。

最後に

10歩も100歩も人に譲る娘だから?
いつも何かしてあげたくなる。

周りの友達もそんな気持ちなのか
すごく友達に恵まれていて
優しくしてもらっているみたい。

去年の誕生日は
1日、王冠を被り『今日の主役です!!』とか
書いてあるタスキをかけて学校で過ごし
たくさんの友達からもらった山盛りのお菓子や
プレゼントを持ち帰ってきた。

娘が学校で楽しく過ごしてるみたいだし
友達に言いたいこと言えて
信頼できる人がいるみたいだし

イラストレーターの依頼は留まることなく
毎月ずっと来ていて、修学旅行だとか
体育祭とか学校行事の時などは
制限してるみたいだけど

絵で稼ぎ続けて
学費を貯金している。

一般的な飲食店やコンビニ
などのアルバイトをしたことがない。

開業届も出していて
もうすぐ18歳になる個人事業主の娘。

今となっては

自分の子育て
失敗もしたけど

いい感じに進んでるんじゃないか。

いつでもまた不登校になってもいい
と思うようになった自分に

高3になって
より反抗するかのように

どんなに大変でも
学校を休まず行くようになった娘。

『親が思ってる道とは反対の道を子供が選ぶことが自立』

と何かで見たこともある。
(情報源どこだか忘れたけど)

逆手に取って
自分は学校に行って欲しかったから
学校に行かずに家にいてくれる子供を
望むようになった。

寂しいけれど、子供の自立を考えたら
学校へ行ったり仕事ができるようになった
方がいい。

離れていくのは寂しいけれど。


心で繋がっていれば
離れていっても

時々帰ってきてくれるんじゃないか。

そう、子供を信じて
自分を信じて。

帰ってきたら
娘の好きな肉じゃがとか
ハンバーグ、エビフライなど

作ってもてなすんだ。

まずは成人の18歳の誕生日を
もてなそう。

滅多に作らないエビフライにしようかな。



そこそこ
コツコツやろう。
そこそこ
できることをやろう。





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