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手紙の力。



もしかしたら明日自分が生きてるか
わからない。

明後日だって来月だって
来年だって
いつまで生きているかわからない。



自分は同じ人と3回目の結婚をして
同居して半年が経つ。

統合失調感情障害という
病気を抱える自分と夫は共に
支え合って生きようとして


何度も何度も丁寧に慎重に
気持ちを確認し合い

過去の流れから

疑問や誤解を解消するよう
話し合いを重ねて

娘が受験生になる年に
結婚し同居という決断に至った。



統合失調感情障害というのは
統合失調症と双極性障害の両方を併せ持つ
病気で、双極性障害は自死のリスクも
高い特徴がある。



幸い現在の主治医と2年前に出会い
統合失調感情障害という診断を受けて

自分に合った薬を服薬するように
なってから劇的に落ち着いていき

妄想や幻聴の世界で生きていた自分に
とって、世界はそんなに悪いものでは

なかったんだな、と知った。


今でも鬱症状や陰性症状はあって
好きだったことが好きじゃなくなったり
興味・関心が失せたり

生きる気力が湧かなくなる症状はある。



希死念慮はほぼなくなっている
けれど、少し危うい時も
極たまに訪れる。



生きてる価値がない

自分は、自分自身について根強く
生きてる価値がない、ダメ人間だ
という考えがある。

高校を中退したくらいから
いつの間にかそう思うようになっていた。

小学3年の時に不登校にもなっている。

その頃も自分はなぜ生きているんだろう?


と生きてることに疑問を感じていた。


生きてる価値がない、と思う頃には
同時にその考えから身を守るようにして
たくさん食べて吐く、摂食障害の過食嘔吐
という症状を纏っていた。

摂食障害の仲間の話から
結婚して出産すると忙しくなって
症状が治まる、回復する
ということも聞いたこともあった。

自分も結婚して出産したけれど
症状は変わらなかった。


むしろ子育てのストレスなどから
症状が酷くなることもあった。


育った家族が愛のない寂しい家庭で
結婚した自分と夫の家庭は愛情溢れる
家庭にしたいと思っていたけど

もしかしたら、自分だけだったんじゃないかな
と思う。

 


夫は仕事を中心、夫自身を中心にした
生活で、子供達のことや家事は

いっぱちに任せっきり。


夫は愛情表現が乏しく
元々愛情不足で育ったのもあり

寂しさから心の穴を埋めるために
たくさんたくさん食べ物を詰め込んでは
吐いた。

夫のお金で食べて吐くのは
申し訳ないという思いから

子育てしながら昼間の水商売をして
働いて稼いだ。

働いて手にしたお金


仕事は子供に言えない。
胸張って言える仕事じゃなかった。

だけど、昼間の時間帯、子供達が保育園や学校に
行ってる間に働けて、高校中退、コミュ障の
自分でも稼げることが嬉しくなった。


働いてることを夫に黙っておけず
水商売の事務をしていると
初めは言っていたけれど

次第にウソをつくことが辛くて
水商売の仕事をしていると夫に話して
認めて欲しいと懇願した。
(今思えば性依存症だったと思う)


その頃には夫との関係は冷め切っていて
自分は夫が帰りが遅いのは浮気をしているんだ
という妄想を信じ込んでいた。


それなら離婚しかないな。
と勝手に思い込み、稼いだお金を
貯金して離婚資金にしていくようになる。

夫が退職した頃、家出

3社目の会社の仕事は職場が遠く
終わるのも深夜で電車で帰れないことから
夫は原チャリで2時間かけて通っていた。

帰ってくるのは2時、3時。

帰る時間がなく、会社に泊まってくる
ことも多くなった。

この頃には完全に浮気していると
いう思い込みも激しくなっていて
夫への愛情は減っていった。

避妊をしてくれないなども
かなり悩んでいて何回話しても
取り合ってもらえなかった。


離婚したい気持ちになってる自分の
ことで話し合いしたくても
時間がない。

時間があっても夫は『またその話?』と
全然真剣に向き合ってもらえない。

話し合いもできない、気持ちも通わない
会話もない、
浮気妄想がこびりついて離れない。

役所に相談に行ったところ
『それはDVというんだよ。』と言われ
初めて自分はDVなんだ、と知った。


タフな夫でもさすがに今の会社は
続けられないと判断して
退職することにした。

夫は1日ゴロゴロ休む日々。
単発のアルバイトをしていて
交通費とお昼代を欲しいと言われる毎日。

もうやってられない。


小学1年の息子が『死にたい。』なんて
言い出すし、



限界だ。




夫がバイトに出かけた後
ランドセル、お弁当持って両手に持てる
くらいの手荷物だけで夫の家を出た3人。

2度目の離婚後

別居している間に離婚調停、裁判をやった。

夫は家庭裁判所は話し合いではなく
『離婚を決定するところ』
と思い込んでいたらしく

離婚に対して反対する夫は
話し合いに応じずひたすら『離婚したくない。』
の一点張り。

いっぱちの離婚したくなった理由については
家事や子育てに協力しなかったことは悪かったと思うけれど、性的DVなどについては
全く心当たりがないと言う主張。


裁判になっても話し合いがつかず
3年時間を置いて話し合うことで両者
同意して裁判を終えた。

3年後、不登校になっている我が子達を
抱えてストレスフルな日々だったけど
ようやく話し合える日がきた、と思っていたら
夫は出廷せず判決離婚となった。


離婚は決定したけど
話し合いは出来ないまま。


不登校の子供達を背負って心は
モヤモヤ。


これがどうしても納得出来なかった
自分はDVに怯えて何か仕返しされるんじゃ
ないかと震える手で電話をかけた。

出ない。

知らない番号からの電話だから
出ないのか。

手紙を書いた。

心の奥の奥の奥底の気持ちを
正直に書いた手紙を送った。


DVの夫に住所を書いて手紙を出すと
言うのはものすごく恐怖で何されるか
わからない。

それでも手紙を送った。


夫から返事の手紙が届いた。

冷静に俺が悪かった、良い父親には
なれなかったけど‥‥などと冷静に反省して
落ち着いた内容の手紙だった。


初めてもらった夫からの手紙。
今でも大事にとってある。


電話番号が書いてあったから
手紙を読んだ夜、すぐに電話をかけた。

子供達が不登校になってることや
自分の病状が悪いことなど話し
近いうちに会って話すことに。

再会

我が家の最寄り駅と夫のこの頃の会社は
とても近くて、
我が家の最寄り駅で待ち合わせることになった。

夫は髪が薄くなっていて
日に焼けていた。
スーツ姿でオシャレな鞄に
革靴。

スーツ姿に弱い自分は
それだけで夫が魅力的に見えた。

この頃の会社はまだ余裕を持って
働けていたようで
人の話に耳を傾ける夫になっていた。

現状を説明し
いっぱちは水商売も辞めて
多くの方々のお世話になって暮らしてること
病状などを話した。

夫は子供達のために
協力できることはする
と言ってくれた。


そのためにはいっぱちとの関係を
よく見つめ直したいと言われた。


半年に1回くらいの頻度から
毎月、毎週と会うペースも増えて
子供達とは電話で話すことからスタートして
毎月4人で食事するようになっていった。

妄想があって面会交流の時間は
なかなか苦しいときもあって
自分だけ席を外す時もあった。


妄想、幻聴、希死念慮

誕生日のとき
クリスマスのとき

バレンタインのとき
父の日のとき


夫に手紙を渡していた。

1回読んでそれっぽっきりになってる
手紙達だと思うけど
3回目の引っ越ししてきて今までの手紙
持ってるのかな。


統合失調感情障害の妄想、幻聴が酷く
自殺願望が強くあった時期が何度も
あったけど、最近だと再発したのが3年前。


もう生きていられないくらい
自殺願望が強く

自分が長く生きていられるとは
思えず、3年前くらいの誕生日プレゼントに
『手紙』が欲しいと夫に伝えた。


今までプレゼントは
色々もらったことはあるけど
初めて手紙をもらったのは

自分が夫に住所を知らせて手紙を書いた
ときの返事の手紙以来だ。



誕生日プレゼントの時に文章書くのが
苦手な夫が頑張って書いてくれた
手紙。


俺と出会ってくれてありがとう。
結婚してくれてありがとう。
息子と娘を産んでくれてありがとう。
そして子供達を立派な人間に育ててくれて
ありがとう。
いっぱちが子供達をここまで育てるのには
俺の想像なんて全く及ばないほど大変だったと思う。
自分の病気を抱えながら、やりたくもない仕事をして、家事をして、子供達と常に向き合ってそのために、色んなプライドをかなぐり捨てて恥をしのんで時には挫折しながらも
歯を食いしばって
必死に育ててくれたことは感謝してもしきれないです。

夫からの手紙の一部を抜粋


こんなこと思ってくれてたんだと
初めて知った夫の気持ち。


頼りないかもしれないけど、これからは少しでもいっぱちや子供達の力になれたら嬉しいです。
そして良い関係が築けたら最高です。
だから、
いっぱちにはこれからも生きてほしい。
俺のわがままかもしれないけど、今はそれが
俺の願いかな。

夫からの手紙の一部を抜粋


この手紙を読んだ時
ものすごく涙が溢れた。


生きていて欲しいなんて


思ってくれる人がいたんだって。


子供達にも、もしかしたら

生きていて欲しいって

思ってくれてるかも?!と
ちょっと思う。

最後に

自分のことを生きていて欲しい
と思ってくれる人がいるって
思えただけで世界は変わって見えた。


ひとりぼっちじゃなかったって。

必要としてくれる人が、場所があるんだって。

初めてそう思えた。

希死念慮が出た時は
この夫からの2通目の手紙を読むことに
している。

毎晩手を握って
眠れるまで手を繋いでくれる夫。

うっかりさんでちょっとドジなところも
あるけれどそんなところもご愛嬌。

病気を理解してくれて
寄り添ってくれる夫。

無理させないようにと
夫が細かなことまで助けてくれること

本当に感謝してる。



生きていられる間、生きていていいんだ。

生きてるだけで価値があるんだ。



そう思わせてくれた、1人。

世界は楽しいこともあるよ。
こんな面白いこともあるよ。


難しいけれど挑戦してみたいこともあるよ。
間違えちゃっても全然平気だよ。


そんなことを教えてくれたのも
夫だった。

手紙なんて全然書いてくれないから
この2通の手紙はお守りみたいに
大切に保管してる。

特に2通目の手紙をもらってから
希死念慮がかなり減ってる。


(薬の効果かもしれないけど)

何事にも動じないサイボーグみたいな
夫だけど、これからも大切に愛したいと
思う。


3回目の結婚はこのままどうなっていくのか?
もう離婚はしないでおじいちゃん、おばあちゃんになるまで生きていたい。



そこそこ
コツコツ生きよう。
そこそこ
できる限り生きよう。




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