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一人になって見えるもの。




我が家の子供達は『良い子』をやっている。

学校でも文句ひとつないと言われるが
私にとってはあまり喜ばしいことではない。

それは、家では全然違う顔だから。

私がどんなに家で子供達優先で奴隷のように
頑張っていても、子供達が優等生として
社会で過ごしている限り私の辛さは

外部の人達にはわかってもらえない。


高校生、年頃の息子と娘は難しい。
親思いのように思えることもあるけど

実際とても優しいので、親思いのところも
あるんだろうけれど私が体調不良だったり

とても不自由な状態であっても
冷たいところがある。


『良い子』


おまけに自分が『良い子』を頑張ってる
ことで、他者にも『努力しない人』を貶すし
『良い人』を強く期待する。

期待に添えない『良い人』に対する
上から目線でバカにする様子は

本当に我が子と言えども辛い。


多少『悪い子』、『ダメなところがある人』を
求めたところで言うことは聞かない。


そんなところが強めの娘との
距離を取ってせっかくの時間を楽しもうと
一人になってみた。


一人の時間


心の中のザワザワが

清々しい気持ちになったり

独身時代の一人の時間が
こんなものだったっけかと
思い出させられる。


一人だとどこに行くにも帰るにも自由で
何を食べるかも自由。

誰と行くか、一人で過ごすか
何もかも自分の選択の優先順位は一番になる。


でもなぜか求めていたのと違う。

そんな自由を求めていたわけではない。

シングルマザーになって
友達との時間を割くことも減った。

何より時間やお金の余裕がなかったから。
それだけじゃなく、離婚したという
社会的に恥の気持ちもあって

心がまず引きこもりになっていって
次第に本当に引きこもりになってしまっていた。


私の引きこもりは部屋から出ない
というものではないから人からは理解
されにくいけれど

社会的に引きこもりがちなのだ。
それも出たり引っ込んだりを繰り返している。


それが良いとか悪いは別として

子供達が手が離れてくると
自分は一人で生きていたんだなと
痛感する。


子供達がいて気が紛れて
勘違いしていたこと。


私は私でいい。


子供達が手が離れても
離婚してもしなくても

結局一人で生きてるんだよなぁ、と
改めて思う。

でも一人で生きるのが寂しいし
しんどいから仲間と共に
群れを成して生きる生き物なのが
人間なんだろうなと。

若い時から一人でいることが多かったので
慣れてしまっているけど。


無理をして集団の群れに入ることも
難しい私だけど

私のままでも関われる人、ことの中で
生きていけたらそれでいいんじゃないかと
今は思う。

私のままで良かったんだ

遠回りしたけど
やっぱり私は私になればいい。

寂しくなったり、不安になるけど
自分を貫くということを
乗り越える強さが
私には必要だなと思う。

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